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復活の地

【Vol.1】 水辺リゾートとして甦ったお台場

今や東京の週末お手軽レジャースポットとして、若者、家族連れで賑わうお台場。夜になると対岸のビル群とレインボーブリッジ、そして東京タワーのイルミネーションに魅せられたカップルたちがそこここに見られる。この地が世間の注目を集めたのは1990年代も半ば。お台場-ここは東京湾でも長く忘れられた埋め立て地だった。
黒船来航に慌てた幕府、江戸湾にできたインスタント砲台
  お台場の歴史は、幕末のペリー来航に遡る。外敵に備えて急ピッチで造成された台場(砲台)は東京湾に6つ。その1つ、第3台場が現在の「お台場」だ。レインボーブリッジの足下に盛り上がる緑の地で、今は史跡の残る公園となっている。このお台場の「お」とは、「お上の」という意であったとか。

  1853年(嘉永6年)6月に、ペリーが浦賀に来航して日本に開国を迫った。返答までの期間はたった1年間。驚いた幕府は江戸湾の防備強化策を検討し、6基の台場建設に着手する。まさに突貫工事で埋め立て地建設を行ったのだ。工事期間、10か月。結局、ペリーの再来には全基完成には至らなかったものの、これは驚異的なスピードであった。現在の技術でも難しいらしい。

  そして、次にお台場が歴史の舞台に登場するのは昭和15年に予定されていた東京万博の会場としてである。会場は東京と横浜の2か所で、東京会場には現在の晴海、豊洲と第三台場が候補地とされていた。京浜運河とその背後の埋め立て地には重工業施設が立ち並び、そして最新の交通手段である飛行機が臨海埋め立て地から飛び立つその風景を候補地から眺められる。そんな臨海部の都市大改造が当時の政府の描いた夢であったという。ファシズムのモニュメント形成の場として、お台場は選ばれたのだった。
なんにもない埋立地、臨海部開発の中心へ
  しかし、この夢は戦争の激化によって破れる。戦後、お台場を含め臨海部はさらに埋め立てが進み、人を寄せつけない港湾施設エリアと化した。お台場は「第13号埋立地」という名前をもらい、東京都によって現在の形に整えられ、「何にもない」埋め立て地として高度経済成長期の日本とともにあった。

  この「何にもない」場所に目をつけたのが、1970年代後半から都知事として辣腕をふるった鈴木都知事だった。これは1980年に東京港湾局が発表した晴見見本市会場の13号埋立地への移転案に端を発する。その後、13号地をシンボルゾーンとした「東京湾21世紀構想」が作成された。しかし、時はまさに技術革新の時代。世界の産業構造も転換期にあった。そのため構想は1985年には東京テレポート構想へと拡大し、ここで13号埋立地に衛星通信地球局、テレコムセンター、インテリジェントビル群の3点セットを置くというプランができ上がる。さらに計画には情報都市として都市機能も織り込まれた。お台場は国際金融の拠点、ベンチャー企業振興の場、職住接近モデルの実験室として、再生都市計画の舞台となったのである。また、ここでは都が土地は原則として売却せず、適正な価格に基づく地価を基準として運用する長期貸付方式と土地信託などの方式がとられる予定だった。折しも日本はバブルまっただ中、中曽根&金丸民活路線が拡大中で、東京都のオフィス需要が最高に高まった時期でもあった。

  この都市設計を80年代初頭から影で支えてきた人物たちは、インフラ整備から始まる水上再生都市の完成には少なくとも30年はかかると見積もっていたという。しかし、金丸民活のプレッシャーと鈴木都知事の強力な推進で、計画は10年計画の「臨海部副都心開発」に変化し、短期間で企業誘致の公募が行われた。法外な賃料と都の甘い試算による条件にもかかわらず、バブルの勢いで誘致希望の企業の数は多数。当選企業は次々に資金投入を開始した。さらにお台場は、88年には鈴木知事と建築家丹下健三のゴリ押しによって、世界都市博の開催地と決定する。そのため、計画はオフィス中心の構想に見直され、96年の開催に向けて、さらに時間との戦いを開発に参加した事業体、プランナーたちに強要した。そして、その動きはバブル崩壊前夜だったのである。
バブル崩壊後の意外な展開
  バブル崩壊後、誘致を決めていた企業やグループは次々にお台場から去った。東京都は莫大な負の遺産を背負うことになったのである。ついに鈴木知事は辞任、95年には青島知事により、世界都市博の中止決定が通告されたのは記憶に新しい。しかし、同年、都市博に向け準備を急いだテレコムセンタービル、台場フロンティアビルが竣工。同年10月には、新交通システムゆりかもめが開通したのである。このゆりかもめは1週間で25万人を集める人気者となった。96年3月にはホテル日航東京も開業。開業当初は危ぶまれた稼働率ももちこたえている。公団住宅を内包する、シーリアお台場3番街、5番街も竣工し、その募集には希望者が殺到した。また、伊勢丹の撤退で開業延期を重ねていた住友商事のデックス東京ビーチも、セガ・エンタープライゼズの出展により開業にこぎつけた。ここは今や家族連れで賑わう、お台場の人気スポットでもある。翌97年にはフジテレビ本社が開業し、お台場や東京ベイエリアを舞台にしたトレンディドラマで、このエリアの知名度と人気は一気にアップした。そして次々にホテルやファッションビルが開業していった。

  お台場の海辺を散策するカップルの姿やカフェで憩う人たちは、すっかりお馴染みの光景である。とはいえ今なお、お台場は開発途上。この先、お台場はどんな場所へと変化していくのだろうか。
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