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復活の地

【Vol.4】 丸の内〜単機能の街から多機能の街へ

 都市の再ブランド化を狙う丸の内
プラダ、エルメス、ティファニー、そしてレストランミクニ……。有名ブティックやカフェ、レストランが並ぶ通り。スーツ姿のビジネスピープルに混じって、ファッショナブルな女性たちや観光客も闊歩する。ここは銀座ではない。ひと昔前まで「おじさんの街」といわれた、丸の内のメインストリート、丸の内仲通りの風景である。
日本のビジネスセンターが「時代遅れ」になった日
丸の内といえば、いかめしいオフィスビルが林立し日本のビジネス機能が集約された街、というイメージを持っていたのではないだろうか。丸の内に本社や事業所を置くことは、企業にとって一つのステータスであり、そこで働くことは誇らしくもあった。

しかし、1990年代後半に東京都心の品川、六本木、汐留の再開発計画が動き出したころから状況が変化してきた。多少の不便をこらえても、丸の内より安い賃料で、新しいビルや人の集まる都市機能を持ったエリアへ企業の転出が相次ぎ始めたのである。臨海副都心の天王洲アイルに移転した日本航空、東品川に移転を決めた三菱重工などはその例である。

「丸の内の大家さん」と呼ばれる三菱地所は、日本の老舗デベロッパーであり、丸の内一帯に所有地を多く有する。経営陣もその社員も、この変化には驚いていたはずだ。さらに1997年8月3日、『日本経済新聞』朝刊に掲載された「丸の内のたそがれ」という記事が、丸の内の現状を全国に伝えた。
昭和39年頃の丸ビル
昭和39年頃の丸ビル。高度経済成長期の丸の内を象徴する建物だった
(写真提供=株式会社三菱地所)
単機能の街から多機能の街へ―― 「丸の内」ブランド構築プロジェクト
1998年、三菱地所は若手社員を中心に「丸の内活性化プロジェクト」に着手。丸の内再構築の方向性は「多機能」である。それまでの丸の内はビジネスに特化してきた、いうなれば単機能の街だった。

目指したのは、25歳から40歳までのビジネスパーソンをターゲットに置いた活性化である。通信情報インフラが整備されているのはもちろん、昼休みやアフターファイブにも楽しめる街。コミュニケーションの場もあり、休日にも人が集まる快適さも有する街。ビジネス機能とともにさまざまな都市機能を有する多機能な街への変貌だった。

1998年頃から銀行のリストラが活発になり、ビルの1階に空き店舗が増え出した。三菱地所はここに有名ブランドショップを誘致している。プラダ旗艦店の出店は、この通りのブランドストリート化の決定打となった。同年秋には、古河総合ビルの1階に「丸の内カフェ」がオープン。自動販売機と新聞や雑誌、テーブルなどが並び、丸の内の休憩スポットとして大いに人が出入りする自由空間となった(現在は新東京ビルに移転)。1999年12月には、話題のフレンチレストラン、ミクニが「ミクニズカフェ・マルノウチ」とイタリア料理店「レストランミクニ・マルノウチ」を開店。カフェは夜10時半(平日)まで営業し、それまで夕方6時7時には人通りが途絶えていた丸の内の常識を打ち破った。

そして2002年9月。丸の内再構築の先陣を切って、新しい丸の内ビルディング(丸ビル)がグランドオープンした。ショッピングゾーンやレストランフロアを低層階に大きく設けた複合ビルである。それまでの丸の内には訪れなかった若い世代や観光客がにぎわい、以前は火の消えたようだった週末も、人々が訪れるスポットへと変貌した。今やこの地は、「丸の内系」として女性誌に頻繁に登場するようになったのである。
江戸、明治、大正、昭和を支えてきた丸の内
丸の内の始まりは徳川幕府誕生にまで遡る。現在の丸の内は、江戸城・三の丸の東から南へ延びた日比谷入江の埋め立て地であり、江戸城防護のため譜代大名が屋敷を連ねた地であった。

明治時代になると、度重なる大火で一面は原っぱと化す。1889年、明治政府は資金調達のため払い下げを決定。翌1890年、三菱社が草の生い茂る丸の内を買い取り、その「三菱が原」とともに、大手デベロッパーとしての歴史を歩み始めたのである。

1894年12月、三菱は丸の内初のオフィスビルを竣工した。赤れんが造りの近代オフィスビル「三菱第一号館」である。その後、次々に洋風建築が建ち並び、ビル街の長さをとって「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれる東京の名所となった。折しも東京駅が開業し、交通の要衝として日本のビジネス機能がこのエリアに集約され始めた。丸の内ビジネスセンター時代の幕開けである。その後も高度経済成長期に至るまで、時代の要請に応じた変貌を遂げた街となった。

21世紀に入り、われわれにも目に見える形で新たな街づくりが始まった。三菱地所は、この街づくりには終わりはないと説明している。今後、丸の内はどこまで変貌を遂げるのか。これは今から楽しみである。
一丁倫敦
一丁倫敦と呼ばれた時代の丸の内。
「日本にもロンドンのようなオフィス街を」と夢見た岩崎弥之介(三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の実弟)と荘田平五郎 (当時の三菱商会の大番頭)の想いが実現された
(写真提供=株式会社三菱地所)

丸の内ストリートマップ
丸の内ストリートマップ
1) 大手町ビル
2) 大手町ファーストスクエア(TULB〈タルブ〉)
3) 大手町フィナンシャルセンター
4) パレスビル
5) 三菱信託銀行本店ビル
6) 東京海上日動ビル新館
7) 東京海上日動ビル本館
8) 郵船ビル(カバン ド ズッカ)
9) 丸の内ビル(ビームスハウス、ドゥーズィエム・クラス)
10) 三菱電機ビル(A.P.C. 丸の内店、サルトテクニコ バセット ウォーカー、フェイシャルインデックスニューヨーク 東京店、トゥミ 丸の内店、4℃ 丸の内店)
11) 文部科学省ビル(トゥモローランド 丸の内店、ブルックス ブラザーズ 丸の内店、エポカ ザ ショップ 丸の内、丸の内 ケイトスペード)
12) 三菱ビル(ル ドーム エディフィス・エ・イエナ、コーチ 丸の内、ディーゼル 丸の内)
13) 丸の内 MY PLAZA(オペーク 丸の内、ジャンポール・ゴルチエ 丸の内仲通り店、マルニ 丸の内店、ティファニー 丸の内東京店)
14) 古河ビル(マルティニーク 丸の内、STYLE by MIYUKI SAWADA、ヒットマン 丸の内)
15) 冨士ビル(LES CAVES TALLEVENT 丸の内、エス・テー・デュポン ブティック 丸の内店、セルジオ・ロッシ 丸の内、ボッテガ・ヴェネタ 丸の内、イヴ・サンローラン 丸の内、エンポリオ・アルマーニ 丸の内店)
16) 新東京ビル(MJC 丸の内店、THE SOVEREIGN HOUSE、アクアスキュータム 丸の内本店、エルメス 丸の内店、パパス 丸の内本店)
17) 国際ビル(ジャンフランコ・フェレ ブティック、コルネリアーニ 丸の内店、アングロファイル英國屋、フォリフォリ 丸の内本店)
18) 新国際ビル(ジョージ ジェンセン 丸の内、COCCNELLE 丸の内店、コム デ ギャルソン、ヨーガンレール 丸ノ内店、ゲラルディーニ 丸の内店、アラン ミグリ ブティック 丸の内店)
19) 新有楽町ビル(PAULE KA 丸の内店、シップス 有楽町店)
20) 読売会館
21) 蚕糸会館(マックディビット)
22) 有楽町ビル(プラダ ブティック 丸の内店、ALAN FIGARET 丸の内店、エストネーション 有楽町店)
23) 有楽町電気ビル(アルマーニ コレツィオーニ 東京店)
()内ファッション店舗のみ抜粋
画像提供=Marunouchi.com/三菱地所ビルマネジメント
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