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復活の地

【Vol.7】 川崎駅周辺再開発〜重工業の街から人が暮らす街へ

 グレーの街からの脱却を目指す川崎市。その都市再生のプロセスとは?
「川崎」と聞いて、最初に連想するのはグレーの空と臨海地区のコンビナート群か、それともハイテク産業の象徴であるカーテンウォールをまとったビル群か?もし、そのどちらかしか思い浮かばないなら、川崎駅の周辺を歩いてみてほしい。そこには音楽と人が溢れ、商業地区と居住地区が美しく調和する街並みが誕生しつつある。
明治から工業化が進んだ川崎湾岸エリア
川崎市は神奈川県北東部、東京都との境に位置し、多摩川に沿って南北に伸びている。ご存知のように戦後の高度経済成長期の日本を支えた都市の一つだ。

1872年(明治5年)、日本初の鉄道開通により、それまでの東海道五十三次の川崎宿を廃止、川崎停車場(現在のJR川崎駅)が開設された。1921年(大正10年)までには電灯やガス、上下水道のライフラインも整備され、早々と都市化されたエリアでもあった。この地が工業地域として歩み出したのは日本の都市のなかでも早く、1912年(明治45年)からである。当時はまだ川崎は市を形成しておらず、臨海部に位置した川崎町が工場招致を町の方針と定めていた。

これより一足早い1908年(明治41年)、東芝の前身である東京電気株式会社が現在のJR川崎駅北口前に川崎工場を稼働させている。1945年(昭和20年)には堀川町工場と改称、電球や蛍光灯、ブラウン管や半導体などさまざまな製品を世に送り出してきた。そして昭和になると、金属、機械器具、化学工業など軍需をまかなう産業が現在の川崎区に進出、戦後の重化学工業地帯の祖を築く。

海路、鉄道のアクセスにも恵まれた川崎区は、1959年(昭和34年)に駅ビルが完成し、東口側は商業地区、西口側は工場地として栄えた。また、駅周辺から臨海部にかけての重工業もより繁栄していった。しかし、発展とともに公害が深刻化した市中心部は、人が住む街として魅力の欠けるエリアとなったのも事実である。時代が平成に近付くにつれて日本の産業構造も変化し、都市機能という点でも時代遅れの地となっていった。
グレーの町から、IT産業と音楽の街へ
映画館を中核としたエンタテイメントの町は川崎のイメージをがらりと変えた(C)CITTA’ENTERTAINMENTCO.LTD 川崎市は、昭和50年代後半より市街地から臨海部の変革に着手していた。「川崎テクノピア構想」は初期再開発の代表だ。川崎駅西口側に広がっていたかつての明治製菓跡地にハイテクビル群、「かわさきテクノピア」、「ソリッドスクエア」が建設されたのは1995年(平成7年)のこと。翌年には京浜臨海部再編整備協議会(神奈川県、横浜市、川崎市)が設立され、臨海部にもバイオテクノロジー、IT系の研究開発企業の集積が進められている。

同時に、市民との共生を考えた湾岸エリアの整備も促進された。しかし一方で、川崎駅東口側の商業地区は建物の老朽化が進み、防災といった都市機能の面で首都圏のターミナルシティとしては大きな課題を抱えていた。

2000年以降、川崎駅周辺の再開発は急ピッチで進行し、毎年新たな複合施設が誕生している。駅から歩いて5分、老舗百貨店の裏にこつ然と姿を現した「ラチッタデッラ」は2002年11月にオープン。イタリアの古い街並を再現し、シネマコンプレックスや飲食店、物販店が詰まった低層2棟構成の小さな町は、一気に若者や子供連れのファミリー層を呼び寄せた。

同時に、高層ビル建設が困難なエリアの再開発に新たなモデルを見せた施設も誕生。2003年8月に駅北口側に完成した、 地下街アゼリアと直結した「川崎ダイス」である。この地区はもともと老朽化した小売店や商業ビルが密集していたエリアで、川崎市主導で再開発が進められていた。このビルにもショッピングゾーンや飲食店ゾーン、シネマコンプレックスが同居する。

同年12月には、かわさきテクノピア内に複合施設、「ミューザ川崎」が竣工。27階建のオフィス棟セントラルタワー、8階建のミューザ川崎シンフォニーホールなどで構成され、川崎の文化・オフィス・商業が融合するランドマーク的な地位を築く。また、オフィス棟は不動産証券化されたビルであり、早稲田大学の投資、都市基盤整備公団の特定業務代行制度を活用した物件としても注目を集めた。次いで2004年3月には川崎駅東口に「川崎ルフロン」が開業。こちらはヨドバシカメラやマルイが大型店を出店し、年齢層の広い集客力を誇っている。

川崎駅周辺は官民一体の動きにより、にぎわいのある街へと一気に変ぼうを遂げた。そして、新しい施設の広場では野外コンサートも定期的に開かれ、音楽を核とした街のイメージづくりも行われている。かつては通勤の要衝、工業拠点だったターミナル駅に、違う目的を持った人々の流れが形成されてきたのだった。
集う街から住みたい街へ。次のステージへと進む川崎駅周辺
次々と商業施設やオフィスが整備されるなか、川崎市は西口周辺の約36.1haにものぼる地区を良質な住宅ストックを形成する再開発地区として着々と準備を進めてきた。その一つが2006年から順次竣工が予定されている「ラゾーナ川崎」である。

この建設地は東芝の旧堀川工場跡地だ。約11万m2にものぼる敷地には商業ゾーンと住宅ゾーン、業務ゾーンからなる一大施設が誕生する。JR川崎駅西口とデッキで直結される商業ゾーンには約300の店舗を集め、西口エリアと幸区の活性化の中核を担う存在と期待されている。また、この商業ゾーンと道1本を隔てた住宅ゾーンには、地上34階建ての高層マンション、ラゾーナ川崎レジデンスが2007年に竣工する。駅から歩いて3分のエリアに、分譲総戸数667戸、約2,000人が住む一つの街が形成されることになる。オール電化システムや高度なセキュリティーと共に緑化空間にも配慮された街には、水と緑が溢れた人が住むための機能が集約されるという。

2006年より順次竣工予定の「ラゾーナ川崎」完成予想パース
明治の時代より発展してきた工業の町は、ミレニアムをこえた今、にぎわいのある街へと変ぼうし、さらに人が住みたくなる街へと姿を変えている。高度経済成長時代に発展した都市の中には、そのまま衰退してしまった所も多くある。川崎は、首都圏の大都市という立地のよさに加え、都市の個性をいち早く作り上げたモデル都市として、復活を果たそうとしているのだ。

■川崎駅周辺図
2000年以降に再開発によって誕生した施設が川崎駅周辺を取り囲む。駅西口地域はさらに再開発が進行する。オレンジ色の部分は、新施設。
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