| 北海道開拓の中心地 |
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北海道の西海岸のほぼ中央に位置する小樽市。徳川幕府が行なった蝦夷地開拓の中核ともなったが、1865年の時点でやっと村とよべるほどの規模だったという。しかし、天然の良港と海と山に囲まれた自然環境が、小樽を商工港湾観光都市へと導いていく。小樽のイメージといえば、”異国情緒が感じられる北の地”というものだろう。古くからのレンガ造りの建物が保存、再生され、小樽のシンボルともいうべき小樽運河は市民の保存活動が功を奏して今も残り、観光の目玉となっている。
小樽市の都市部再開発は、高度経済成長期の昭和40年代にさかのぼる。最初のターゲットは小樽駅周辺。ショッピングモールを併設したビルやホテルが建てられ、資金力の弱い地方民間企業が集まる中、順調に発展していった。
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その後、小樽運河を埋め立てるという話も持ち上がるが、歴史的遺産の保存を訴える市民の反対にあい実施には至らなかった。当時、すでに小樽は全国有数の観光地として発展していたのだ。
小樽は観光資源を備えた天然の良港としてだけでなく、恵まれた鉱物資源の積み出し拠点でもある。中でも石炭輸送は小樽の産業で、その中心となったのが、小樽港の南に位置する小樽築港だ。しかし、かつて年間300万トンの石炭を運び出した港も、時代の変遷とともにさびれてしまう。
1987年になると、築港周辺の22.6haにのぼる広大な土地は、日本国有鉄道の民営化に伴い、国鉄清算事業団の所有へ。1992年11月には18.3haの用地が小樽築港ヤード駅跡地として、株式会社小樽ベイシティ開発に売却された。 供連れのファミリー層を呼び寄せた。
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| 国との交渉が商業施設誘致を可能にした、築港ヤード跡地開発
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株式会社マイカルが母体となった小樽ベイシティが、大規模複合施設「マイカル小樽」の建設計画を発表した。住宅区域約1,500戸を含むショッピングセンターやアミューズメント施設、レストラン、劇場、フィットネスクラブ、ホテルを併設した一大複合商業施設である。
もともと、このヤード跡地は小樽市に売却される話がきていたという。当時の小樽市は、石炭の積み出し停止に伴い、若年層の働き口がなくなったことも起因して人口減少化が進んでいた。住宅事情の改善とあわせて、土地の利用調査が始められていたのだが、同時期にスーパーニチイ(マイカルの前身)がこの地に興味を持ち、市に相談を持ちかけたことから、この大規模再開発事業がスタートしたのである。
同市は、このエリアの南側がJR函館本線に接しており、国道5号線や道央圏との交通アクセスが良好であること、小樽マリーナなどに近く将来性が見込まれることから、単純に商業施設用地としてではなく、インフラ整備を進める街づくりの一環のための地としてとらえていた。
だが、同地は臨海地区に位置しており、都市計画上の用途指定で工業地域(建ぺい率60%、容積率200%)の規制がかけられていた。商業地として開発するには難しい。そこで当時の運輸相と掛け合って規制の緩和を主張し、広域誘致による商業施設計画も可能な立地とした。このような運輸省を巻き込んだ規制緩和は日本の再開発でも稀な例とされている。
こうして、小樽市は「築港周辺地区再開発事業」を大きく前進させた。さらにインフラ整備のため、約140億円をこのエリアに投資したのだ。 |
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