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復活の地

【Vol.12】広島金座街地区〜裏道と化した旧中心街の復活

広島は国際的に有名な平和都市だが、一方で富国強兵をうたっていた時代では「海軍の主要基地」という過去を持つ。戦後以降は中国地方の重要な重工業地帯の中心として発展し、昭和30年代からは呉に替わる支店都市としてその地位を築いた。バブル期には広島アジア大会を目指し、市内のあちこちで再開発が進む。しかし、往年のショッピングゾーン、金座街のみが最後まで取り残されてしまった。
百貨店戦争
1937年の金座街入り口と福屋

1961年、金座街にアーケードが完成
原爆の投下によって、戦後75年は草木も育たないと言われた広島市。被爆直後から市街には闇市が立ち、壊滅状態だった路面電車は被爆2日後に一部運行を始め、1年後には住宅や市街地の復興が急ピッチで進められた。広島市の中心的な繁華街は、広島駅と爆心地の間に挟まれた八丁堀・本通地区で、被爆直後は惨憺たる有り様だったという。

浅野家の城下町として江戸時代から栄えた広島では、江戸時代からの交通の要衝であった西国街道を一部取り込んだ本通りから、西側の中島地区(現在の平和公園)に向かって商店が連なり、にぎやかな町人町を形成していた。明治時代にはこのエリアに本通り商店街が作られ、1921年(大正10年)には東側に隣接する新天地一帯に飲食店やカフェ、活動写真館、寄席といった施設が次々にオープンし、一大歓楽街を形成していく。さらに1929年(昭和4年)には、新天地北側の八丁堀エリアに百貨店の「福屋」がオープンし、これを契機に金座街が誕生した。「東京の銀座を超える商店街に」という願いをこめてネーミングされた商店街の誕生。繁華街の中心は西から東に完全に移動した。

被爆で打撃を受けた金座商店街も、1950年代初頭には息を吹き返し、福屋の復興で中心的なショッピングストリートとしての復権を果たした。しかし、1960年代後半になると、広島にも東京や大阪資本の大手百貨店やスーパーの建設要請が出されるようになる。

地元の反対運動にもかかわらず、1973年には中央通り東側に転勤族の需要を見越した「三越広島店」が、翌74年には八丁堀エリアと本通りを挟んだ西側、紙屋町に「広島そごう」がオープンした。そのため、ショッピングゾーンの中心は、三越や福屋を中心とする八丁堀エリアと広島そごうのある紙屋町という二極構造に変化した。これが広島第一次百貨店戦争である。東西のショッピングビルに挟まれることになった地元商店中心の金座街は、グレードアップを目指し、早くも70年には再開発の準備にとりかかった。ここから再開発完了までの長い道のりが始まったのである。
第二次百貨店戦争で裏道へ
「金座街区地区市街地再開発基本計画」が策定されたのは、前述のように1970年のことである。77年には新天地市街地再開発準備組合を設立。ところが、73年のオイル・ショック以降、地価や建設工事費の高騰などから、計画が進展しないまま数年を経てしまった。その間に状況が一変し、広島市は当時都市計画の主流となっていた郊外開発に力を入れていた。実際、同市では郊外のほか、雑居ビルが建ち並ぶ広島駅前の再開発の必要性も説かれていたが、金座街同様、何度も立ち消えになっていた。

しかし、広島市は94年にユニバーシアード広島大会の開催権を得たことで、駅前再開発に一気に乗り出した。この開発計画が本格的に稼働しはじめたのは89年頃である。駅ビルのキーテナントに三越を据え、それまで支店を出さなかった福屋も駅前に出店を決めた。西武百貨店もこの布陣に加わる。計画により、中心部の商圏は三極化されることになった。この急ピッチの再開発が、第二次百貨店戦争の開幕を予感させた。そして、金座街を中心とする新開地エリアも再開発対象とされ、73年に進出決定していた「パルコ本館」の竣工にむけてようやく本腰が入れられた。しかし、大型ショッピングビルの結節点とされる場所でありながら、地権者問題も抱える地区の優先順位は低かったようだ。周辺地区が近代化されることによって、金座街一帯は、低層木造ビルに飲食店や商店、住宅が集積した時代遅れの雑居エリアとなり、徐々に人通りの少ない裏通りへと化していったのである。この事態を金座街商店街が見過ごすわけにはいかなかった。
再びショッピングゾーンの核へ
ガラスで光と花のアトリウムを演出した金座街商店街クリスタルアーケード 金座街商店街は遅れる再開発計画を横目で見据えながら、1989年に商店街近代化構想策定事業(国と県からの補助事業)をスタートさせ、94年には現在商店街のシンボルとなっているクリスタルアーケードを完成させた。

さらに、2年後にはセラミック板などを使用した美しいカラー鋪装で商店街の近代化を図っていく。同年、金座街再開発第5街区の再開発ビルとして「広島パルコ本館」もオープンした。この動きと前後して、93年に金座街第6街区再開発準備組合が設立。翌年には再開発ビルのキーテナントに再びパルコが決定した。そして、地元も一体となり、地権者の権利変換を推進していったのである。

当初の再開発計画が起案されてから30年が過ぎた2001年、再開発ビル「パルコ新館」の完成を以て、金座街エリア全ての再開発事業が終了した。現在では、裏道化した過去も信じられないほど、若い客層が闊歩し、商店街には老舗と中央資本のチェーン店などが仲良く同居している。往年の活気が戻ったのだ。銀座を超えたいという思いで名付けられた金座街は、今も広島市の商圏の中心地の一つとして健在である。
参考文献/
全国市街地再開発協会編、全国市街地再開発協会 2000年
『日本の都市再開発−市街地再開発事業の全記録−4』
日本経済新聞社 1994年『ビジネスマンのための日経都市シリーズ:広島』
広島市ホームページ http://www.city.hiroshima.jp/
広島県ホームページ http://www.pref.hiroshima.lg.jp/
広島金座町商店街ホームページ http://www.kinzagai.jp
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