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復活の地

【Vol.13】神戸市〜阪神淡路大震災からの復興

「大阪と神戸を結ぶ阪神高速道路が横倒しになり、神戸西部の長田地区には轟々とした火の手が上がっている」――1995年1月17日の早朝、震度7、マグニチュード7.2の直下型大地震が神戸市沿岸を襲ったことを、各テレビ局は報道した。あれから10年余り。往年の華やかさを取り戻したように見える神戸の街。だがその復興に際し、手放しでは喜べない問題を抱えることになったのもまた事実だ。未曾有の災害にあいながらもたくましく蘇る神戸市復興に光と影を見た。
素早い対応が評価された神戸市の復興計画
震災直後、神戸市の対応は早かった。地震当日から3日間、市職員は被災状況を把握するため、住宅地図を手に被災地へ散らばり、1月18日には集まってきた情報をもとに各地の被害状況を地図へと記している。31日には「震災復興市街地住宅緊急整備の基本方針」を発表。追って2月16日に「神戸市震災復興緊急整備条例(復興計画マスタープラン) 」の発表とともに、震災復興促進区域5,887haを指定した。

災害復興のキーは、段階に応じた施策が正しいタイミングで行われることが肝要とされている。その点においては神戸市の行動は評価できる。いち早く拠点重視の復興計画方針を固め、ライフラインの復旧を図った。これは、近代日本の再開発において高い評価を得た神戸市の自治体主導の都市経営の経験に基づくものだった。
神戸市の主要復興地域と復興プロジェクト位置図
「株式会社神戸市」と呼ばれた自治体主導の復興計画が生み出した課題
神戸市は、古くから都市開発の歴史があった。現在の神戸のイメージを象徴する神戸港付近でも、江戸時代末期に、外国人居留地造営のための新しい港の造営が行われた。明治に入ると、国家の号令の下、各地に開発の波が押し寄せた。神戸市も近代日本の国際貿易港を有する臨海地区として、産業の発展を中核にすえた開発を進めた。戦前戦後も国の成長と同調して開発主義を押し進め、都市の拡大を図ってきたのである。

更に、高度経済成長期には、テクノクラート市長が誕生し、「神戸型都市経営」を生み出した。そしてその後も「株式会社神戸市」と呼ばれるほど、自治体主導の開発プロジェクトを推進。当時、20世紀型ともいわれた神戸市の開発は多方面から賞賛を浴びたのである。

震災後の神戸市は、この「株式会社神戸市」の本領を発揮して復興計画に乗り出した。 「震災復興土地区画整理事業地区」はそういった開発主義の成果といわれている。

しかし、それは従来の20世紀型開発手法に留まり、住民参加型開発への脱皮が図られていなかった。復興計画が進むにつれ、神戸方式開発の課題が露見することとなったのだ。神戸市の提示した復興計画は、決して住民が望むものばかりではなかったのである。被災地の住民たちが必要としたのは「都市開発・復興」というより、元の生活を送るための「復旧」であった。震災で多くの建物が焼失した地区では、復興再開発をきっかけに別の問題が生まれていた。旧コミュニティの破壊である。新しい集合住宅や複合施設の建設が進んだが、家賃の高騰で新居に入居できない被災者や商店主が地元から離れざるを得なくなってしまった。地元に残ることができた世帯でさえも、生活や商売が立ち行かなくなっているといった状況が課題として残った。
※……科学主義(テクノクラシー)の思想により、経済運営、社会政策などの高度な専門知識で政策立案に参画、その実施に関与する高級技術官僚、専門家。
都市災害復興のモデルケースとなった神戸と、これからの日本の再開発
関東大震災後、初めての大都市災害の被災地となった神戸市は、都市のメガ・インフラの復旧と都市システムを襲った現代的災害、未整備道路や密集木造市街地の焼失・倒壊による伝統的災害からの復興という難問をつきつけられていたが、公共の交通網や電気を、早い所では震災翌日に復旧させた。

ガス、上下水道も復旧作業後、 3年間で災害に強い対策を講じた施設へと変わっていった。

神戸の中心地・三宮では、震災翌年に百貨店のそごうがいち早くオープンし、97年にはアーケード・三宮センター街も再建を果たした。99年頃には旧居留地の華やかさが戻り、港湾都市「神戸」の都市インフラと経済は目に見える形で復旧していった。

HAT神戸のマスタープラン図
また、震災前から土地利用転換などによる土地の有効利用が検討されていた「東部新都心」といわれる臨海部120haも、市街地復興のシンボルプロジェクトと位置づけられ、98年に「HAT神戸」として街開きをし、順次公営住宅への入居を開始。被災住宅の受け皿の役割も担ったこの地では、民間住宅を含めると1万戸の供給が計画された。HAT神戸は、幅広い道路設計や耐震構造のビル群をはじめ、被災から学んだ防災都市のモデルともなった。

神戸市の復興開発は、今後の都市災害復興のモデルケースとして学ぶところが多い。また、この開発によって浮き彫りにされた課題は、メディアを通して行政だけでなく人々の意識を喚起することにもなった。この課題は神戸に限らず、今後、日本各地で行われる次世代の再開発についてのポイントを提示する結果となったのである。
参考文献/
『阪神・淡路大震災 神戸復興誌』(神戸市、2000年)
『「危機管理」の都市計画:災害復興のトータルデザインをめざして』(西山康雄著、彰国社、2000年)
『開発主義神戸の思想と経営:都市経営とテクノクラシー』(広原盛明著、日本経済表論社、2001年)
「特集1:神戸復興―いま地域でなにが起こっているのか」(『造景』No.1、建築士料研究社、1996年)
『神戸の歴史を歩く:海辺と街と山』(藤井勇三著、神戸新聞総合出版センター、1997年)
「街の復興は―再開発の8年」(神戸新聞Web News, 2003年1月11日〜15日)
「そして、今 〜震災復興 再開発の街で〜」(神戸新聞Web News, 2006年1月12日〜15日) ほか
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