| 最強の投資家への道 |
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ソロスは社内でのヘッジ・ファンド運営の限界を悟った。そして1973年、彼はB社で出会ったジム・ロジャースとともに1,200万ドルの資金で「ソロス・ファンド・マネジメント」(後のクォンタム・ファンド)を設立。2人は、市場に流通する全てを投機対象に、限界までレバレッジを駆使して取引を行っていたという。
ソロス・ファンドの初期成功例として挙げられるのが、銀行株、防衛産業関連株の取引だろう。いずれも「開かれた社会」の思想に基づく市場とマクロ経済の分析、ロジャースの世論に流されない詳細な調査による仮説から成功を導き出した。さらにソロスは成功におぼれず自己をみつめ、改善策を常に考えていた。たとえ悪い事態が起きても軌道修正をスピーディに行い、損失を最小限に食い止めた。さらに、失敗を認めた時には市場から潔く撤退したことが、ファンドの成長を加速させたのだった。
1980年に2人のパートナーシップは解消されたが、「クォンタム・ファンド」をはじめ、5つのソロスグループのファンドは、81年初頭には最高資産規模の4億ドルまで成長。84〜85年には「リアルタイム実験」と称する市場意志決定のプロセスを導入することにより、プラザ合意の時には、ファンドは前年比114%の成長を遂げた。
88年になると、ポンド暴落の際に指揮をとったスタンレー・ドッケンミラーに経営権を譲渡し、ソロスは経営陣のコーチとしてアドバイスと収益分配の仕事を行うようになった。1969年の「ダブルイーグル・ファンド」設立から95年にかけて、ソロスは株主へ約35%年間収益を渡し続けたといわれている。この経緯が彼を「世界最強の投資家」といわしめた。92年のポンド危機をきっかけに、一気にソロスの名前が世界を駆け巡り、決して表に出ることのなかった投資家が自らメッセージを放つようになった。
彼は金儲けを人生の目標に設定しなかった。その底辺を成すのが自分の思想であり、それを発展させ実証するために「市場は格好の実験場所」だったとソロスは述懐する※2。彼の目的は、自分の目指す社会システムを少しでも実現することだった。90年代以降、成功者ソロスに経済政策のアドバイスを求める各国要人は後を絶たず、ソロスの言葉が市場を左右したこともある。ビジネスと支援。この2つの活動が、彼に「外交政策を持つ唯一の民間人」という賞賛をも贈ったのである。
※1、2……「」内の言葉はソロスのインタビュー著作『ジョージ・ソロス』より引用。
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参考文献/
『ソロス』(マイケル・T・カウフマン著、金子宣子訳、ダイヤモンド社、2004年)
『ジョージ・ソロス』(ジョージ・ソロス著、日興證券株式会社監修、テレコムスタッフ訳。七賢出版、1996年)
『ソロスの錬金術』(ジョージ・ソロス著、ホーレイU.S.A・Pacific Advisory & Consultant翻訳、総合法令出版、1996年)
『ソロス:世界経済を動かす謎の投機家』(ロバート・スレイター著、三上義一訳、早川書房、1995年)
『グローバル・オープンソサエティ:市場原理主義を超えて』(ジョージ・ソロス著、榊原英資・藤井清美翻訳、ダイヤモンド社、2003年)
ほか |
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ジョージ・ソロス George Solos
(1930−) |
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| ハンガリー生まれ。ナチスの迫害から生き残り、17歳で渡英、26歳で渡米。ウォール街の証券会社勤務を経て、1973年に「ソロス・ファンド・マネジメント」を設立し、急成長を遂げる。1990年代にはソロスの一言が市場を左右するといわれるほどの投資家へ。一方で東欧やアフリカ、アジアでの文化・科学研究を支援し、世界各地にオープン・ソサエティ・ファンドという財団ネットワークも構築している。 |
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