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伝説の勝負師たち

【Vol.4】 ジェシー・リバモア

1907年のアメリカ市場を救い、暗黒の木曜日といわれるニューヨーク金融恐慌も売り抜けた男、ジェシー・リバモア。悪名高いギャンブラーのように語られるが、破産と勤勉を繰り返す人生を送り、投機においては自分のルールにのみ忠実に従おうとした男だ。そのルールとは?
少年リバモア、投機ルールを生む
リバモアと株式市場の出会いは14歳のとき。家出同然でボストンへ行き、偶然得た仕事が証券会社のチョーク・ボーイ※1だったことに遡る。もともと数字に強かった彼は、ここで株式相場の数字の変化に魅せられた。

やがて、仕事を終え家へ戻ると、飛び抜けた記憶力を駆使し、その日の株価変動を思い出してメモすることが日課となる。数ヵ月後には株価予想もできるようになり、やがて株価が一定の規則で変動することに気付く。

15歳のある日、職場の同僚に誘われてバケット・ショップ※2へ行った彼は、自分の分析を実戦で試すことにした。そして、自分の予測が正しかったことを確信した。

その後はバケット・ショップの常連となり、投機で稼ぐ金額は、いつしか、はるかに給料を上回るようになっていた。この頃から、リバモアは仕事を辞めて、市場分析に時間を費やす投機の世界へと本格的に乗り込んでいった。

バケット・ショップ時代のリバモアは、成功や失敗を繰り返しては自分の理論を修正し、いくつかの投機ルールを自分に課すようになっていた。代表的なルールの一つ目は、「取引開始から10%以上の損が出たら、その時点で手じまい(損切り)する」こと。バケット・ショップでは10%の損を出すと取引できない規則があった。少し儲けや損が出ると、人は「もう少し続ければもっと利益が出せるかも、損を取り戻せるかも」と思いがちだが、リバモアはこの人間的な迷いを断ち切れるかどうかが、ギャンブラーと投機家を区別する線と考えた。彼は勝負の場がバケット・ショップから株式市場になっても、このルールを守り続けたという。

二つ目のルールは、ブローカーやトレーダーの情報を傾聴せずに、「ティッカー※3の情報だけを信頼する」ということ。相場取引でうまい話はなく、市場自体は変わらない、状況を正しく分析して間違いのない予測を立てることこそ重要と考えていた。これは、うまい話になびきそうになる自分を律するために必要なルールであった。

※1…… 当時の証券会社では変動する株価を次々に黒板に記入して、顧客が株価を確認できるようにしていた。その記入をする人。
※2…… 当時、都市のいたるところにあった株を対象とした賭博場。証券会社とは違い、小額で取引に参加できた。
※3…… 当時は証券取引所から送られてくる株価が細長いテープに記号化されて送られていた。
ウォール街の「グレート・ベア」
チョークボーイからのし上がった「売り方」の勝負師。「ウォール街のグレートベア」と呼ばれていた リバモアは、1920〜30年代のウォール街で「グレート・ベア」 ※4と呼ばれていた。株式市場の急落の際には彼の存在が常にちらつくと噂された投機家である。確かに彼は30歳になるまでに相場で3度も全財産を失い、一度は破産宣告をしながら見事に復活、1907年のニューヨーク株大暴落の時には億万長者にまでのし上がっていった人物だ※5。派手なプライベートの噂も手伝って、彼があたかも相場をあやつるペテン師のごとく大衆に騒がれるのも無理はなかったのである。

一方、相場を相手にした彼は、自分のルールに従って、どんな取引についても人に語ることはなく、誰からも情報を得ようとしなかった孤高の投機家だった。市場が開くと一人でティッカー・テープを眺め続け、自らの判断で取引を行い、財を成していったのである。グループを組むこともなかった。相場に失敗しても人のせいにすることはなく、失敗の原因を徹底的に分析し、彼独自の投機ルールからはみ出すことを厳しく自分自身に律した。いわゆる賭博師とはひと味もふた味も違った人物だった。

長年の市場観察と実際の投機からリバモアが学んだことは、「相場は誰にも操作できない」ということだった。1929年のニューヨーク大恐慌のおり、巨額の富を手にしたリバモアは、「株価暴落の原因」と悪魔のようにののしられた。しかし、実際はいつもと同じように一人で数字の変化を読み取り、潮目が来たところで一斉売りを行っただけなのである。彼は他の投資家や素人のように上り調子の市場が続くとは考えていなかったし、一人で操作ができるほど市場は甘くないとわかっていた。天井知らずに株価が上がり続けることはなく、株価が底を打っても時間がくれば適正価格に戻る、これがプロの投機家リバモアの、数十年にわたる市場分析から得た答えだったのだ。

※4…… ウォール街では、強気(上昇)市場をブル(牛)、弱気(下降)市場をベア(熊)と喩えた。ここから派生して、買い方にまわるトレーダーを「ブル」、売り方トレーダーを「ベア」と呼ぶ。リバモアは売り手に回って莫大な利益を確保していたことからついた尊称。
※5…… 若干30歳のリバモアは、市場の下落を見越して優良株の売りを市場に浴びせた。その影響で草創期だった米国株式市場が危機にさらされ、この状況を憂慮したJ.P.モルガンが、リバモアに売りをやめるよう頼んだと言われている。リバモアは愛国心から早めに買いに入って市場を支えることになった。
「市場とは何か」─探求者リバモア
リバモアの市場への関心は、自説が正しいかどうかを証明することにあったという。一発勝負に出て大儲けをすることではなく、数字の変化を注意深く読み取り、独自の理論をもって相場予測を立て、実際に身銭を切ってその理論を実践することだ。自分の理論が正しければ大金が転がり込むし、間違っていれば全財産を失うという、株式相場はシンプルで、最もチャレンジングなゲームの場だったのである。「市場とは何か」─この探求こそが彼を投機家としての道に誘った。市場のメカニズムを解明していくことが、長年にわたるリバモアのテーマだったのである。

彼はこうも言っている。「市場は素人には手に追えないものであり、知識や分析をせずに投機を行うのは愚か者である」。彼は10代、20代の若さでこのことを実感し、自らも愚か者と定義して常に市場と数字の分析に時間を費やしてきた。また、失敗からは学ぶものはあるが、成功ほど手に追えないものはないと、ビジネスに関わる自分を厳しく律してきた人物でもあった。

1936年以降、2度目の離婚や家族内の問題をきっかけに、リバモアは次第に市場への情熱を失っていったようである。1940年、伝説の投機家は、ニューヨークのホテルでピストル自殺を図り、63年の生涯を閉じた。
参考文献/
『世紀の相場師 ジェシー・リバモア』(リチャード・スミッテン著、藤本直訳、角川書店、2001年)
『欲望と幻想の市場−伝説の投機王リバモア』(エドウィン・ルフェーブル著、林康史、東洋経済新聞社、1999年)
ほか
略歴 PROFILE
ジェシー・リバモア Jesse Livermore
(1877-1940)
マサチューセッツ州シュルーズベリーの貧しい農夫の子供として生まれ、14歳で証券会社に職を得た。少年時代から株式投資を始め、20歳でニューヨーク証券取引所での投機活動をスタート。その後は巨額の利益を手にしながらも、何度も破産。しかし、その度に投機で全てを取り返してきた。63歳で自殺。
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