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伝説の勝負師たち

【Vol.6】遠山 元一

裕福な農家に生まれるが、父が米相場で放蕩し、母とは絶縁。別れた母へのひたむきな想いを胸に、兜町で厳しい丁稚奉公に耐え、相場師として叩き上げられた少年がいた。独立後、動乱の時代を生き抜き富と名声をつかんだ、通称『前垂れ将軍』─遠山元一である。彼に成功をもたらした、自身が語る「臆病哲学」とは何だったのだろうか。
厳しい修行時代を支えた母への想い
誠実かつ威風堂々とした風貌を感じさせる遠山元一(本人写真) 遠山元一は、1890年 (明治23年)埼玉県比企郡川島町に生まれた。農家の跡取り息子として育てられるが、父親が米相場で失敗し、一家は没落の一途をたどる。元一の母・美以は離縁後実家に帰され、家族は離れ離れとなってしまう。

15歳になると、元一はすぐ丁稚奉公に出され、やがて兜町で株式仲買人「半田商店」の小僧となる。親が米相場で失敗したために、その子が相場の世界に足を踏み入れるとは何という因縁であろうか。

半田商店は「独眼龍将軍」と呼ばれた相場師・半田庸太郎が経営する店で、容赦なく鉄拳と罵声が飛ぶ厳しい職場だった。元一は何としても破産状態の遠山家を再興し、そこに母を迎えたいとの一念で耐え抜いていく。

しかし、1907年 (明治40年)の株価暴落により、元一が勤めていた半田商店は勢いを失う。それまで鉱山業に手を広げていたこと、東鉄(東京の路面電車)の売りで敗北したことなどもあり、遂に1915年(大正4年)には閉店を余儀なくされる。

そのような状況ではあったが、元一は兜町の市村商店、平沢商店などで努力を続け、 1918年 (大正7年)に「川島屋商店」を創業する。だが2年後に株式会社へ改組した直後、バブルが崩壊。その後も関東大震災、金融恐慌、世界恐慌、そして第2次世界大戦と、時代は容赦なく元一に試練を与え続けたのである。
自称「臆病哲学」で兜町の大物に
時代の大波に対し、元一は他の相場師のように大きな仕手戦を仕掛けることをせず、堅実な相場哲学で生き延びた。しかも戦時中の1944年 (昭和19年)には国家主導の企業整備により日興証券と合併し、社長のポストに就任、後に日興証券会長を務めた。

元一の相場哲学─「臆病哲学」とは何だったのだろう。ある経済誌のインタビューに次のように答えている。「他人は、私が大胆だ、度胸がよい、などと言いますが、決してそんなことはありません。臆病で小胆だから、いつも逃げることばかり考えています」と。

その言葉どおり、元一はいつも相場における「居過ごし」を厳しく戒めた。まだまだ儲かると思って、そのポジションに居過ごすことがどんなに危険なことかを熟知していたのだ。幼い頃に米相場で失敗した父親、兜町では半田商店の衰退を目の当たりにしている。それらが血肉の経験となったことは想像に難くない。

「実物を引き取って配当を取りながら値上がりを待つのは楽しい」とも言っている。信用取引で短期の投機に走るのではなく、現物取引で長期的な投資をする、株式投資本来の王道を説いているわけだ。とはいえ彼も相場師である。「大相場に乗ったなと直感したら、どこまでも突っ張り通す」という言葉にそれが垣間見える。彼にとって大切なのはセオリーやデータではなく、永年の経験で得た「直感」こそが、唯一信じられる財産だったのではないだろうか。
母のために建てた故郷の邸宅は「遠山記念館」に
埼玉県比企郡川島町にある「遠山記念館」は、邸宅、庭園、美術館などを擁し、多くの見学者が訪れる。元一が没落してしまった生家を再興し、母のために住まいを建てようと誓って幾年月。兜町で成功し、まさに初志貫徹を成し遂げ、堂々たる邸宅を完成させたのは1936年(昭和11年)のことだ。元一の母は亡くなるまでの12年間、ここで静かに暮らした。

邸宅は茅葺屋根を持つ純日本建築で、現在は指定文化財。邸内には丁稚奉公に出た元一に宛てた「母からの長い手紙」など、貴重な資料も展示されている。手入れの行き届いた伝統的な日本庭園も必見だ。

また敷地内には美術館があり、元一が収集した染織、絵画、陶磁器、人形などの美術コレクションが展示されている。元一の遺徳を偲びつつ鑑賞したい。遠山記念館は田園風景のなかで伝統美を堪能し、静かにくつろげる隠れた観光スポットとなっている。

「遠山記念館」。元一が母のために建てた住まいとして、現在一般公開されている。長屋門、渡り廊下でつながる東棟、中棟、西棟は、全国から銘木を集めて建てた伝統的日本建築である。(室岡惣七氏設計)
動乱の時代を生き残り、戦後の復興期には日興証券ばかりでなく、証券業界の重鎮として存在感を発揮した遠山元一。比類なき成功を収めた堅実な勝負師として記憶に残る人物であった。
参考文献/
『日本相場師列伝』(鍋島高明著 日経ビジネス人文庫)
『日興コーディアル証券ウェブサイト』
『日興コーディアルグループウェブサイト』

取材・協力/
財団法人 遠山記念館
埼玉県比企郡川島町白井沼675
TEL.049-297-0007 FAX.049-297-6951
http://www.e-kinenkan.com
略歴 PROFILE
遠山 元一 (1890-1972)
1890年(明治23年)埼玉県生まれ。15歳で丁稚奉公のため上京。兜町の半田商店を皮切 りに、株式仲買人として修行を積む。1918年(大正7年)に「川島屋商店」を創業して独立。1944年(昭和19年)日興証券と合併し、存続会社である日興証券の社長に就任。戦後は証券業界の健全化に取り組み、兜町の重鎮として存在感を発揮した。1952年(昭和27年)日興証券会長に就任後、1972年(昭和47年)82歳で逝去。
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