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学生時代から、投資不適格とされる債券「ジャンクボンド」の高配当に着目していたマイケル・ミルケン。彼が編み出した投資手法はマネーゲームとの批判を浴びながらも、ウォールストリートを席巻する。「ジャンクボンドの帝王」と呼ばれたミルケンの半生をご紹介しよう。 |
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| 数字に強かった少年時代 |
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マイケル・ミルケンは、ロサンゼルスの北、サンフェルナンド・バレーにあるエンキノという街に生まれ、比較的裕福な家庭で育った。幼い頃から公認会計士の父親の仕事を手伝っていたこともあり、ミルケンは周囲が驚くほど算数が得意な子どもだったという。
バーミンガム高校時代は成績優秀で、仲間からの信望も厚く、生徒会長を務めた。カリフォルニア大学バークレー校に進学後は、退廃的なヒッピー文化全盛の風潮に染まることもなく、まじめに学問に打ち込む。
大学を卒業すると同時に結婚。フィラデルフィアに移り、ペンシルベニア大学のウォートンスクールでMBAを取得する。オールAの成績を引っさげ、証券会社ドレクセル・ファイヤストン(後に合併しドレクセル・バーナム・ランベール社(=DBL)となる)に就職。トレーディングを担当しながら学生時代から興味を持っていたジャンクボンドの研究に没頭していく。 |
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| ミルケンが着目した「ジャンクボンド」とは? |
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「ジャンクボンド」とは、投資不適格とされる破綻リスクの高い債券のこと。ジャンクは「がらくた」の意味で、定義は、「格付機関からBB以下(投資不適格)に格付けされた債券」である。リスクが高いため利回りや配当が高く設定され、無事に償還されれば大儲け、それが魅力の金融商品だ。投資側はハイリスク&ハイリターンに賭けることになる。
ミルケンは、このジャンクボンドの高利回りに注目した。債務不履行になるものもあるが、きちんと償還されるものもある。冷静に情報を分析し、いくつかのジャンクボンドを組み合わせて運用すればリスクが分散され、しかも高いパフォーマンスになる。「ジャンクボンドは割安で投資価値あり」という信念のもと、彼は市場創造に取り組んだ。
ジャンクボンドに精通したミルケンは、「ジャンクボンドの帝王」と呼ばれるようになる。抜群の記憶力で起債企業の概要、債券保有者、満期などを熟知し、ジャンクボンド市場に君臨した。顧客は儲かればよいのでミルケンの言うがまま。ミルケンとDBL社はジャンクボンド市場の価格形成を掌握し、手数料率さえも思いのままになった。
ミルケンの功績でDBL社は飛躍的に業績を伸ばした。しかしミルケンとそのスタッフは、毎日15時間以上の激務、食事はすべてデリバリーで済ませ、私用外出もできないほどの仕事漬け。それでもミルケンは人をほめることはなかった。ある人がその理由を問うと、「仲間でほめあう時間などない。成功した話より失敗した話のほうが重要だ」と応じたという。
ジャンクボンド市場の規模が拡大していくと、ミルケンはジャンクボンドを供給する必要に迫られる。そこで思い浮かんだのが、M&A(企業買収)の活用だった。企業にとってジャンクボンドは長期ローンのようなものとなり、 M&Aで必要な巨額の買収資金をたやすく調達できるのだ。
結果、資金調達によりアメリカンドリームをつかむ企業が輩出され、ミルケンは新興企業の将来性を創造することになった。後年、産業と国家に貢献したと再評価されることになる。
しかし、この頃からミルケンは病的なほど利益追求に執着していく。面接に訪れたトレーダーに「いずれゼネラルモータースやIBMの奴らをびびらせてやる」と豪語したという。やがて顧客や資産家だけでなく、儲かると思えば危険な人物とも交流するようになっていった。 |
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| インサイダー取引に関与、禁固10年の有罪判決 |
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ミルケンはある頃からアイバン・ボウスキーという相場師と交流を持つようになった。ボウスキーの投資は、ほとんどインサイダー取引によるものだった。証券会社のスタッフと気脈を通じ、企業買収を事前に知ると、その株を購入して高値で売り抜ける。彼の人脈は多彩で複雑に絡み合い、後に「ボウスキー事件」として大スキャンダルになった。
ミルケンの秘書や部下はボウスキーのうさん臭さや強引な性格を嫌がり、ミルケンに電話を取り次がないよう努めていたが、ミルケンはボウスキーとひそかに付き合うようになる。そしてインサイダー情報を提供し、コンサルタント料という名目で大金を受け取るなど、悪事に手を染めていく。
1986年、ボウスキーの悪事が露見。有罪を認めたボウスキーは、司法取引で共謀した者を告白し、おとり捜査に協力、芋づる式に共犯者が逮捕された。SEC(証券取引委員会)と検察の捜査は3年以上に及び、遂にミルケンとDBL社は起訴に持ち込まれた。
ミルケンを解雇して存続を図ったDBL社だったが、 1990年2月のジャンクボンド相場の急落で資金繰りに行き詰まり倒産。1987年に証券会社収益全米ナンバー1に輝いたわずか3年後のことだった。その年の11月、ミルケンは裁判所から「5件の訴因で有罪。それぞれの訴因につき2年、合計10年の禁固刑」と判決を言い渡され、失意のうちに塀の向こうに収監された。 |
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| 社会貢献を唱えて復活 |
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刑期を終えたミルケンは現在、みずから設立した「ミルケン財団」と「ミルケン研究所」を足場に、教育、医療、経済調査の分野で活動している。特に医療へのコミットメントは大きく、それは自分が獄中で患った前立腺ガン、母と妻が患った乳ガンの闘病体験によるものだという。
経済分野では「ハイ・イールド・ボンド」と呼ばれるようになったジャンクボンドの再生に取り組んでいる。2002年10月、ある証券会社の招きで来日したミルケンは、講演のなかで「ハイイールド債券市場は日本の経済成長を助け、雇用を創出し、投資リターンを上げ、人とビジネスの繁栄を助ける」と主張している。
1980年代のアメリカにおけるジャンクボンドの流通と市場創造、そしてM&Aにおける活躍など、マイケル・ミルケンの人生は金融イノベーターとしては画期的なものだった。インサイダー取引に手を染めさえしなければ、彼の栄光は傷つくことなく後世に伝えられたに違いない。まさに天才ならではの光と影を感じさせた。
参考文献/
『マイケル・ミルケン オフィシャルサイト』
『マイケル・ミルケン講演会』(アクシーズ・ジャパン証券ウェブサイト)
『ウォール街 悪の巣窟』(ジェームス・スチュワート著 小木曽昭元訳 ダイヤモンド社刊) |
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マイケル・ミルケン Michael Milken (1946-) |
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1946年7月4日生まれ。カリフォルニア大学バークレー校、ペンシルベニア大学ウォートンスクール卒業。ドレクセルファイヤストン社(後のドレクセル・バーナム・ランベール社)に就職し、ジャンクボンドの第一人者となるが、ボウスキー事件に絡み1988年起訴される。禁固10年の有罪判決を受け、高額の罰金を支払い約2年で釈放。その後も新市場を開拓したイノベーターとしての名は高く、ミルケンファミリー財団などを基盤にした社会奉仕活動などを中心に現在も活躍している。 |
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