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スタンレー・ホーは、燃料会社創業を皮切りに、不動産事業などのビジネスを成功させ、やがてはカジノ、ギャンブル、観光事業などを幅広く手がけ、「マカオのカジノ王」と呼ばれた人物だ。イギリス領だった香港とポルトガル領だったマカオが、中国に返還されてからも、ひとつの国に社会主義と資本主義を共存させる「一国二制度」の恩恵を受けて事業を継続。現在は中国本土や東南アジアでもカジノを運営するなど、積極的に事業展開を進めている。彼が経営する「信徳集団」などの企業群は香港の税収の30%を納めているそうだ。 |
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| 名門である何家を追われ、捲土重来を誓う |
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スタンレー・ホー(中国名:何鴻 )は香港の名家である何家に生まれた。何家のルーツは1840年代に活躍した中国人企業家サー・ロバート・ホートン(中国名:何東卿)にさかのぼる。その弟であるホー・フック(中国名:何福)の息子、何世光がスタンレーの父親である。
アヘン戦争以来、香港ではイギリス人、ポルトガル人、ユダヤ人、中国人などの国際結婚が盛んだった。英国紳士の素養、ポルトガル人の陽気な性格、ユダヤ人や中国人の商売上手さ、それらが遺伝的に融合し、次世代になると多くの優秀な人材が活躍した。中国、イギリス、ポルトガルの血統を持つスタンレーもその典型だ。
しかし、裕福な生活を送っていたスタンレーの運命は13歳のとき暗転する。父の何世光が株取引に失敗して全財産を失い、一族から冷酷に見捨てられた |
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| のである。スタンレーは親戚たちの仕打ちに対し、「いつか見返してやる」と決意する。後に莫大な財を成す企業家人生の原点は、この不遇な時期にあった。 |
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| 若くして勇気とビジネスセンスで稼ぐ |
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スタンレーは苦学の末、香港大学理学部に入学。だが、太平洋戦争が勃発し、香港は日本軍とイギリス軍が対峙する危険地帯となる。難を避けるためマカオに移住した彼は、ここで実業家としての才覚を発揮する。日本人と欧米人の双方を相手に商売を始めたのだ。自ら輸送船に乗り込み、ある時は日の丸、ある時は中国の青天白日旗を掲げ、臨機応変に物資を運んだ。この辺りに名門生まれらしからぬ、スタンレーのしたたかさが垣間見える。
やがてスタンレーは商才を買われ、ある貿易会社に入社。ここでも船で貿易に従事する。彼は持ち前の度胸と機転で大活躍し、給料以外に多額の報奨金を得ることになる。一つエピソードを紹介しよう。ある日、彼の乗った船が海賊に襲われた。スタンレーは商品買付資金を預かっており、大金を持ったまま海に飛び込めば、自分も助かる。しかし、それでは乗組員が全員殺されてしまうと判断し、大金を海賊の一人にそっと渡した。その後、海賊の仲間に「金はさっき来た者に渡した」と言い、彼らの仲間割れを誘ったのである。海賊が海賊船に戻って揉めている隙に、彼は乗組員に指示して船を全速力で走らせ、出会った日本の軍艦に保護された。乗組員の生命を救ったスタンレーに、会社は多額の報奨金を与えた。こうしたスタンレーの武勇談は枚挙にいとまがない。
戦争が終わると、ポルトガルマカオ総督府は食糧問題に対処する「貿易府」を組織。スタンレーはこれまでの人脈をつてに21歳の若さで供給部部長に任命された。そのためわずか2年で貿易会社を退職することになったが、すでに彼は、給料や報奨金でかなりの大金を貯蓄していた。 |
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| 創業に成功するもマカオを追われる |
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スタンレーは戦争の荒廃からマカオを復興させるために、貿易局の仕事に打ち込み、マカオの食糧事情を好転させた。同時に各界に人脈を築いていく。香港マカオでは「金儲けができるかどうかはプール金があるかないかで決まる」という考え方がある。すでに得ていた大金で、スタンレーは創業を考えるようになった。
「日本軍が廃棄する軍用油を買い集め、燃料油に再生し、それを売れば儲かる」─そこでマカオ総督府が持っていた燃料の専売権を手に入れ、創業を果たしたのだ。毎朝6時に港に荷物の確認に行き、昼間は商談や荷役、深夜に帳簿を付け、翌日の手配をするというハードな日々を送る。努力の甲斐あって1年で元手を2倍にした。
事業に成功はしたものの、スタンレーは港湾事業を牛耳るマカオの闇組織と対立関係になっていく。利益を吸い上げようとする闇組織にとって、思い通りにならないスタンレーは邪魔な存在だったのである。その後、闇組織は、カジノ事業に乗り出そうとしたスタンレーに対し執拗に脅しをかける。命の保障さえままならなくなった彼は、遂にマカオを去ったのである。 |
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| マカオのカジノ王への道 、更なる挑戦 |
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約10年、香港で雌伏の時を過ごすが、この地では不動産事業で成功する。スタンレーのモットーは「早く勝つ」こと。土地を購入し、建物を建て、売却するサイクルをスピードアップし、資産を急激に殖やすのだ。国内では建物を売却し、海外では建物を賃貸して利益を得ていく。事業は急成長し、莫大な資産が築かれた。スタンレーは「今の自分なら闇組織にも負けない」と、マカオに戻ることを決意する。
マカオに戻ると、賭博独占経営権を得るための公開入札に参加。ポルトガルマカオ総督府に対して万全の対応をし、「独占経営権を獲得したら港などの公共施設を整備し、香港とマカオの交通を充実させ、多くの人がマカオでカジノを楽しめるようにする」と約束する。入札の結果、スタンレーの「マカオ旅遊有限公司」が権利を獲得。闇組織による抵抗もあったが、スタンレーは一歩も引かず、最後は金と権力の力で闇勢力を抑え込んだ。
やがて、マカオは観光とギャンブルが融合する美しい街に生まれ変わった。ポルトガルの伝統的な建築様式で最上階にカジノがある「リスボアホテル」はその象徴的な存在だ。いつしか人々はスタンレーを「マカオのカジノ王」と呼ぶようになった。
20世紀末、マカオと香港は中国に返還された。中国は「一国二制度」を提唱し、社会主義経済の中国本土、資本主義経済の香港・マカオという路線を打ち出す。活躍の余地を見出したスタンレーは中国本土やアジア各国へ進出し、果ては北朝鮮にまでカジノを開設した。中国公安や人民解放軍がマカオの闇組織を壊滅させたことも追い風となっていた。
スタンレーはユーモアとウイットに富んだ魅力的な人物だ。英国紳士の素養を持ち、知識は豊富、才能にあふれ、決断力、さらに危機に直面しても動じない胆力を備えている。彼の率いる企業群はこれからもアジアの覇者でありつづけることだろう。
参考文献/
『ゴッド・ギャンブラー』 (楊中美著 青木まさこ訳 日本僑報社)
『華僑烈々 大中華圏を動かす覇者たち』(樋泉克夫著 新潮社) |
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スタンレー・ホー Stanley Ho (1921-) |
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1921年、香港生まれ。父の何世光が破産後、香港大学工学部に入学するが、戦争のためマカオへ移住。1945年の終戦を機にポルトガルマカオ総督府貿易府供給部部長に任命される。
同年に燃料工場、翌年に船舶会社を創業。その後、闇組織に脅迫されマカオを去る。香港で不動産事を営み資産1000万ドルを達成。1961年、マカオに帰国し、賭博場独占経営権を獲得する。翌年、初のカジノ「新花園」開業。マカオ競馬会の筆頭株主となり、競馬独占経営権を獲得。2002年、350億元を投じてインターネットカジノを開設。2007年10月現在、85歳でありながら
「マカオのカジノ王」として活躍中。 |
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