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| 団塊世代の大量退職などをにらみ、長野県軽井沢町で、分譲リゾートマンションの建設ラッシュが起きているという。このままでは、景観や自然が損なわれる恐れがあるとして、町では、マンション建設の規制強化を打ち出した。日本を代表する人気のリゾート軽井沢。建設ラッシュを引き起こす軽井沢の価値はどこから生まれてきたのだろうか? |
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| カナダ人宣教師が「発見」した軽井沢 |
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まず軽井沢の成り立ちを見てみよう。江戸時代、軽井沢は中仙道沿いの宿場町として栄えていた。注目を浴びたのは1866年(明治19年)のとき。カナダ人の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが避暑地として在日外国人たちに紹介したのが発端だ。
カナダ生まれで英国国教会の宣教師ショーは、友人の英語教師ジェームズ・ディクソンと偶然、軽井沢を通りかかった。彼らは軽井沢の涼しい自然に祖国スコットランドの風景を思い出し、この地を「屋根のない病院」と呼び、感動したという。
このとき、ショー等は、ひと夏を過ごすために、休業状態の旅籠「亀屋」を借り切った。亀屋の主人・佐藤万平は、彼らから、外国人の生活習慣やもてなしの作法を学び、後に、現在の軽井沢を代表するホテル「軽井沢万平ホテル」を開業した。
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ショー等によって紹介された軽井沢は、リゾート地として人気を博し、外国人の瀟洒な洋館や、外国人とビジネスをする日本人の富裕族の別荘が、あちこちに見られるようになる。その独特の異国情緒や、上質なイメージが後の軽井沢ブランドとしてしっかりと根付いていった。
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| 小説や詩の舞台となって定着した軽井沢ブランド |
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また、明治以降、軽井沢を憧れの土地として大衆にイメージづけたのは多くの詩人や作家たちだった。大正期を代表する作家・詩人の室生犀星や作家の堀辰雄、24歳で夭折した詩人の立原道造などが知られている。中でも作家の堀辰雄は軽井沢を背景に「風立ちぬ」や「美しい村」を発表。知識人の生き方と軽井沢の四季折々の美しい自然を描いた。 「風立ちぬ」にはこんな有名な一節がある。
このように、小説や詩、エッセイなどで伝えられた繊細で上品なイメージが「軽井沢ブランド」を決定づけたのかもしれない。 |
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| 全国ブランドになった軽井沢。そして訪れたマンションラッシュ |
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戦後は、当時の皇太子(今上天皇)と正田美智子さま(皇后)のテニスデートの地として注目を浴び、その後1995年に新幹線の開通、1998年に冬期長野オリンピックの開催などで、年間780万人(2005年実績)の観光客が訪れるまでになった。
そんな軽井沢に訪れた昨今のマンションラッシュ。事態に先がけ軽井沢町は「軽井沢の良質な別荘環境は日本の貴重な財産」として、2001年からマンション軽井沢メソッド宣言(自然保護対策要綱)を発表した。リゾートマンション建設について「1棟19戸以下」、「20戸以上のマンションを建設する場合は戸当たりの敷地面積を110m2以上」、「住居地域では2階建てまで」など、建築条件を厳しく規制。2007年は1戸当たりの面積を150m2以上とするほか、ワンルームタイプを認めないなど規制を拡大するという。
カナダ人宣教師ショーが避暑地として紹介して約120年。軽井沢は日本を代表するリゾート地としてのステイタスとその価値を揺るぎないものとし、今、再び脚光を浴びている。しかし、軽井沢というブランドは一朝一夕にできあがったものではない。人気が再燃して発展途上の昨今だが、その自然的・歴史的・文化的価値は、時代の波に押し流されることなく、いつまでも受け継がれてほしいものだ。 |
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