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不動産王列伝

【Vol.2】 ブランド確立で不動産の付加価値を高めた男 ドナルド ・ジョン ・トランプ<前編>

90年代の米国不動産不況の中で、多くの不動産業者が姿を消したニューヨーク。しかし、その代表格と思われていたトランプは復活した-彼はなぜ復活できたのか? 30代の若さでその成功を印象づけたトランプ・ビジネスの一端を見ていこう。
たった4つのビルで有名に!?
  実のところ、トランプはアメリカ最大のデベロッパーではなく、最も成功したデベロッパーでもない。しかし、これだけ知名度の高い不動産デベロッパーも珍しいだろう。トランプが1990年までに手がけたビルとは、ニューヨークのグランド・ハイアット・ホテル、トランプ・タワー、トランプ・プラザ、そしてアトランティック・シティのトランプズ・キャッスル・ホテル&カジノである。トランプが38歳のころには、その純資産は推定4億ドルともいわれた。

  1946年生まれのトランプは、ニューヨーク周辺の中産階級向け住宅開発を手掛ける父、フレッド・C・トランプの次男として育つ。幼い頃より父の事業に興味を示し、大学在学中から小さな不動産取り引きも始めている。1968年に大学を卒業し、一族が経営する不動産会社に加わった。その当時はニューヨークではなく、カリフォルニア、ワシントンDCなどで、いい物件をいい条件で売りたがっている人間を探して歩いたという。彼は物件を連邦住宅局の40年、金利5.5%の不動産抵当融資を利用して手に入れることが多かった。現金はできるだけ使わない、彼のやり方である。

  父は庶民にも手が届く低価格住宅で財を成したが、トランプは次第にその状況にじれったさを感じるようになる。賃借人がゴミを窓から捨てたり、家賃を踏み倒してアパートから夜逃げするような物件を作ることに嫌気がさしていたのである。彼は自分の進むべき道が、マンハッタンのドアマンのいる贅沢な高層マンションにあると考えた。26歳にしてマンハッタンの高級住宅街、アッパー・イーストサイドに小さなスタジオを借りて、自分の仕事に乗り出した。そして、この頃から自己宣伝活動のため、ナンバープレートに「DJT」と刻印した運転手付きのキャデラックに乗り、当時のファッションスポットやマジソン・スクエア・ガーデンに出没し始めたのである。
交渉力とPRを武器にするトランプ戦術
  トランプの名を一気に有名にしたのは、グランド・セントラル駅に隣接するグランド・ハイアット・ホテルだろう。この地は1970年代に倒産したペン・セントラル鉄道の所有不動産の一部であり、コモドール・ホテルという古びたホテルだった。折からの不況でニューヨーク市の財政もパンク寸前だった当時、同駅周辺のホテルの経営はどこも危機的な状況下にあった。駅周辺は早晩荒廃するだろうとさえ言われていた。しかし、トランプは、「この駅には何千人もの人々が出入りしている。私はここを有望な土地だと思った」と語り、コモドール・ホテルの売買交渉をスタートさせたのである。

  1976年、トランプは40万ドルでホテルのオプションを手に入れる。ニューヨークでは当時、多くのオフィスビルが赤字を出していた状況だったため、この地にホテルの建設を決めた。ただ、この場所の税金はどんなビジネスも採算がとれないほど高額であり、ホテル成功のためには潤沢な資金を必要とした。市が民間デベロッパーにどれだけの減税措置を認めるかどうかは疑問だったが、コモドールを市が所有するとなればその可能性は高い。そして、トランプは解決策を見いだしたのであった。

  トランプがコモドールを1000万ドルで買い、それをニューヨーク州都市開発公団に現金100万ドルと99年の長期ローンで転売。改めてトランプが借り直す、という方法を提案したのだ。エイブラハム・ビーム市長は、ニューヨーク市で初の商業施設にかかわる固定資産税の減免法をこの物件に適用したのである。これにより、コモドールの税金は40年間免除されることになった。同ホテルの税金は年間400万ドルで、トランプは実に1億6000万ドルも得をした計算になる。トランプが支払う年間借地料は、当初はわずか25万ドル、最終でも270万ドルに過ぎない。市はホテルからあがる収益の最初の50万ドルについては10%、150万ドル以上については15%を得ることとなった。

  その後、同地と同等の土地にかかる税金は年額900万ドル以上となり、ホテルの収益は年1200万ドルだったため、減税措置がホテルの採算に及ぼした影響は絶大だった。トランプはこの契約で2億ドルから4億ドルの利益を得たことになる。これは多くの人の不興を買い、「世紀の税金のがれ工作」との非難も一身に浴びた。

  しかし、減税措置にもかかわらず、トランプの建設資金融資は四苦八苦の状況だった。都市銀行は破産寸前のニューヨーク市に融資してくれない。辛うじてエクイタブル保険会社から3500万ドル、バワリー・セイビングズ銀行から4500万ドルの融資をとりつけた。そして、建築費の徹底抑制を行っている。トランプの強気な交渉は請負業者の間でも評判になった。どの業者も「お望みのことを言ってください。何とかその通りにしますから」と答えるしかなかったというほどに。

  グランド・ハイアットは1980年に完成。計画された当初はバッシングの対象となったものの、開業後はニューヨーカー自慢の優美なホテルとして歓迎された。ベージュ色のパラディゾ・イタリアン大理石で覆われたテラス付きプール、ブロンズの円柱が連なる豪華なロビー。4階分の吹き抜けを持つミラー・ガラス張りのアトリウム、サン・ガーデン、カクテルラウンジ・・・。

  このグランド・ハイアットの開業時には、トランプと記した巨大な旗をグランド・セントラル駅の上から吊るして当時の市長を怒らせた、というエピソードは有名だ。彼はトランプ・ブランドの地固めのためにも、ホテル建設に妥協を許さなかったという。彼の手によるビルは、常に中身も高級で本物を志向し続けていたのである。(続く)
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