| 管理人たちの摩天楼入手作戦 |
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1961年、ヘルムズリーはウィーンとともにエンパイア・ステート・ビルを買収した。正確に言うと、彼らの不動産シンジゲートがビルの所有に成功したのだ。このシンジゲートとは不動産ファンドのことで、仲介者が複数の投資家から資金調達を募り、投資家はその不動産が生む利益を一定の利回りで享受できるシステムになっている。アメリカでも1960年代から活発になった不動産売買の方法だ。彼らはその先べんをつけた人物でもある。そして、二人にとって過去最大の仕事となった摩天楼の買収こそが、その後の不動産シンジゲート興隆の起爆剤にもなったといわれている。
この買収について、二人がとった資金調達方法は非常に入り組んだものだった。当時、同ビルを所有していた大手ビル建材会社が倒産寸前だったため、短期間に6500万ドルでの売却を要求。マンハッタン屈指の資産家であった二人でも、短期間にこの金額を支払うことも投資家からの資金調達も困難だった。そこで、6500万ドルで買収したビルをそのまま2900万ドルでプルデンシャル保険に転売。同社が二人にビルごと賃貸に出し、賃貸料として投資に対し11%の高収益を得る、というプランを描いた。同社としては、格安でエンパイア・ステート・ビルを購入できるうえ、不動産減価償却による多額の税金控除も可能になる買い物だ。
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ヘルムズリーとウィーンの賃借権は2075年までと設定し、1991年まではビル丸ごとの賃貸料として年間322万ドルを、その後21年間の更新期間では184万ドル(後に190万ドルに修正された)、最後の63年間は161万ドルをプルデンシャル保険に支払うこととしたのである。
ヘルムズリーとウィーンは、さらに差額分の3600万ドルの資金をかき集めなければならなかった。そこで、1口1万ドルで賃貸権を担う投資家を募り、3300万ドルを集めることにした。投資家には年間9%の利回りを保証し、(当時の株の平均利回りより少々高め)さらに、差額の300万ドルは、二人と数人の友人で設立した別組織が調達した。二人は、この別組織に、ビル全部を転貸し、そこで得る賃料で投資家グループに保証した9%の利潤をカバーした。その組織は、テナントと賃貸契約を結び、賃料を回収した。
このようにして二人は、外部投資家に、毎年9%の保証分を支払えば、後に残る現金収入はすべて、別組織の投資家たちと50%ずつ分け合い、手にすることになった。
この運営条件でプルデンシャルや投資家たちは二人を代表とする事業体との契約を締結した。年間1100万ドルを稼ぐビルといわれたエンパイア・ステート・ビルの本来の所有者はプルデンシャル保険である。ビルの買収にあたって、ウィーンの法律事務所は契約が締結された時点で、手数料110万ドル、賃貸のパートナーシップの弁護士としての監査費用に年間10万ドル、転借権を持つ私的パートナーに対する弁護士費用として年間9万ドルをも手にした。一方、ヘルムズリーは不動産仲介と管理を行う自身の会社、ヘルムズリー・スピアー社が仲介手数料50万ドル、ビル管理者として年間9万ドルの収入を得ることになった。本来の所有者は口を挟む隙もなく、エンパイアの管理人となった男たちが摩天楼の真の舵取りを行ったのであった。 |
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| ハリー・B・ヘルムズリー Harry B. Helmsley |
| (1909-1997) |
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| ニューヨーク生まれ。1925年にニューヨークの不動産仲介会社に就職、1936年には自分の不動産も購入。1949年に弁護士のローレンス・A・ウィーンと事業を通じて知り合い、以後、投資仲介を中心に不動産投資やデベロッパーとして活躍、不動産協会会長も務めた。ヘルムズリー・ホテル・チェーンの創始者 |
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