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不動産王列伝

【Vol.3】 不動産投資シンジゲートの創設者 ハリー・B・ヘルムズリー

今や不動産プロジェクトに投資家たちを募るのは一般的となっている。しかし、このシステムが本格化したのはアメリカでも1960年代である。当時、アメリカで富の象徴とされたエンパイア・ステート・ビルをこの投資の対象として所有した不動産ブローカーがいた。 今回は、彼のビジネスを垣間みてみよう。
エンパイア・ステート・ビルに魅せられた男たち
1931年の竣工以来、摩天楼のシンボルとして現在でも訪れる人が絶えないエンパイア・ステート・ビル。このビルは、アメリカでの成功と富の象徴として、竣工計画が持ち上がってきた当時から、さまざまな人間の運命を変えてきた。今や最新設備を誇るビルが林立するマンハッタンにあって、この古めかしいビルは未だ多くの資産家たちが欲しがるビルの一つなのである。

今回の主役、ニューヨークにヘルムズリー帝国といわれるほどの不動産を所有したハリー・ヘルムズリーもその一人だ。日本で彼の名を聞いてもピンとくる人は少ないだろう。ニューヨークのセントラル・パークを眺めるザ・ヘルムズリー・パークレーンやミッドタウンにあるザ・ニューヨーク・ヘルムズリー、バーニーズの隣に位置するザ・ヘルムズリー・カールトン・ハウスなどのホテルはご存知ではないだろうか。このホテル・チェーンの創始者がヘルムズリーである。とはいえ、1909年生まれの彼にとって、ホテル事業は晩年の仕事。元は、マンハッタンのブロンクス地区の家賃取り立て屋から不動産業界でのキャリアを築いてきた大手ブローカーであり大資産家であった。

ヘルムズリーは、自身の会社で格安のビルを買っては、経費を切り詰めてテナントを埋め、管理も行い高値で転売をしていた。そして、不動産専門の弁護士で合法的不動産シンジゲートの創始者、ローレンス・A・ウィーンとともに、50年代初頭からマンハッタン中のビルを買いあさり始める。ヘルムズリーは、マンハッタン中のあらゆる地区で家賃を取り立て、ビル管理や仲介をしてきた男であり、どんな物件でも正確に不動産価値の評価ができると定評があった。その彼が投資用の物件を見つけ、ウィーンが合資会社を作って投資家を募り資金調達をする。このパートナーシップで、二人はまたたくまにマンハッタンでも指折りの資産家となったのである。当時、リンカーン・ビルやレキシントン・ホテルも彼らの手に渡っていた。1950年から58年の間に、ウィーンは3000人以上の投資家たちから1億5000万ドル以上の資金を集め、当時のアメリカ財務省と同等の資金調達力を見せたという。そんな男たちが是が非でも欲しかったのが、50年代にそれぞれ事務所を構えていたエンパイア・ステート・ビルだった。

※1949年〜1971年 当時:1ドル=360円。1960年頃の日本では大卒の初任給が7000円台〜1万円台だった
管理人たちの摩天楼入手作戦
1961年、ヘルムズリーはウィーンとともにエンパイア・ステート・ビルを買収した。正確に言うと、彼らの不動産シンジゲートがビルの所有に成功したのだ。このシンジゲートとは不動産ファンドのことで、仲介者が複数の投資家から資金調達を募り、投資家はその不動産が生む利益を一定の利回りで享受できるシステムになっている。アメリカでも1960年代から活発になった不動産売買の方法だ。彼らはその先べんをつけた人物でもある。そして、二人にとって過去最大の仕事となった摩天楼の買収こそが、その後の不動産シンジゲート興隆の起爆剤にもなったといわれている。

この買収について、二人がとった資金調達方法は非常に入り組んだものだった。当時、同ビルを所有していた大手ビル建材会社が倒産寸前だったため、短期間に6500万ドルでの売却を要求。マンハッタン屈指の資産家であった二人でも、短期間にこの金額を支払うことも投資家からの資金調達も困難だった。そこで、6500万ドルで買収したビルをそのまま2900万ドルでプルデンシャル保険に転売。同社が二人にビルごと賃貸に出し、賃貸料として投資に対し11%の高収益を得る、というプランを描いた。同社としては、格安でエンパイア・ステート・ビルを購入できるうえ、不動産減価償却による多額の税金控除も可能になる買い物だ。


ヘルムズリーとウィーンの賃借権は2075年までと設定し、1991年まではビル丸ごとの賃貸料として年間322万ドルを、その後21年間の更新期間では184万ドル(後に190万ドルに修正された)、最後の63年間は161万ドルをプルデンシャル保険に支払うこととしたのである。

ヘルムズリーとウィーンは、さらに差額分の3600万ドルの資金をかき集めなければならなかった。そこで、1口1万ドルで賃貸権を担う投資家を募り、3300万ドルを集めることにした。投資家には年間9%の利回りを保証し、(当時の株の平均利回りより少々高め)さらに、差額の300万ドルは、二人と数人の友人で設立した別組織が調達した。二人は、この別組織に、ビル全部を転貸し、そこで得る賃料で投資家グループに保証した9%の利潤をカバーした。その組織は、テナントと賃貸契約を結び、賃料を回収した。

このようにして二人は、外部投資家に、毎年9%の保証分を支払えば、後に残る現金収入はすべて、別組織の投資家たちと50%ずつ分け合い、手にすることになった。

この運営条件でプルデンシャルや投資家たちは二人を代表とする事業体との契約を締結した。年間1100万ドルを稼ぐビルといわれたエンパイア・ステート・ビルの本来の所有者はプルデンシャル保険である。ビルの買収にあたって、ウィーンの法律事務所は契約が締結された時点で、手数料110万ドル、賃貸のパートナーシップの弁護士としての監査費用に年間10万ドル、転借権を持つ私的パートナーに対する弁護士費用として年間9万ドルをも手にした。一方、ヘルムズリーは不動産仲介と管理を行う自身の会社、ヘルムズリー・スピアー社が仲介手数料50万ドル、ビル管理者として年間9万ドルの収入を得ることになった。本来の所有者は口を挟む隙もなく、エンパイアの管理人となった男たちが摩天楼の真の舵取りを行ったのであった。
略歴 PROFILE
ハリー・B・ヘルムズリー  Harry B. Helmsley
(1909-1997)
ニューヨーク生まれ。1925年にニューヨークの不動産仲介会社に就職、1936年には自分の不動産も購入。1949年に弁護士のローレンス・A・ウィーンと事業を通じて知り合い、以後、投資仲介を中心に不動産投資やデベロッパーとして活躍、不動産協会会長も務めた。ヘルムズリー・ホテル・チェーンの創始者
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