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不動産王列伝

【Vol.5】 港区の都市再生デベロッパー 森 泰吉郎(もり たいきちろう)

「六本木ヒルズ」「アークヒルズ」など首都圏の大規模再開発事業を手がける未上場会社、森グループの名を知っている人は多いだろう。その礎を築いた森泰吉郎は、米・経済誌『フォーブス』がかつて世界一の富豪と報じた人物だ。学者出身の異色経営者は、どのように不動産ビジネスを開拓していったのか、そのプロセスの一部を追ってみよう。
故郷の復興を目指して
森ビルの共同事業型再開発を象徴するアークヒルズ 1986年4月、東京都港区赤坂に総敷地面積5万6000m2にも及ぶ「アークヒルズ」が竣工した。この計画は、泰吉郎が1967年の1月に同地、榎坂に土地を購入したことから端を発した計画だったという。完成までに17年もの年月を要している。同じく、2003年春にオープンした「六本木ヒルズ」も完成までに17年の歳月を費やした。泰吉郎が理想とした街の再開発は地権者も巻き込んだ「共同事業」であり、そのプロセスのためにこの歳月は必要だったのである。

ここに一つの象徴的なエピソードがある。泰吉郎が1950年代後半に建てた第一森ビル建設計画にまつわる話である。関東大震災と第二次世界大戦で、故郷の新橋周辺が一変する様を経験した泰吉郎は、いつかその地を復興させたいと強く願っていた。

終戦時、森家の貸家エリアをブロックにして、焼失することのないコンクリートのビルを建てようと考え、80坪の敷地に第一森ビル建設を計画する。敷地のうち70坪は森家の所有で、そのうちの54坪は4つの店が借地権を持っていた。そのため、泰吉郎は終戦前から各店へ挨拶に訪れ、いずれビルを建てることと協力への証文をそれぞれとった。そして彼らと親戚並の付き合いを重ねた。その結果、戦後4年半をかけ、土地をまとめることに成功している。

故・森 泰吉郎氏これは、「地上げは権利者、森ビル、地域の三者がそれぞれ利を得なくてはならない」という泰吉郎の哲学の下に実行した、土地をまとめる手法(共同事業)であった。地権者、借地権者、借家人などの権利者に誠意を尽くし、信頼を得る努力を重ねる。その結果、向こうからチャンスが訪れることもあるのだ。

これは米屋経営の傍ら、賃貸業を営んでいた父が家主としてコミュニティーに接してきた姿勢を見てきた泰吉郎の中に培われたものでもあった。この理念は冒頭の「アークヒルズ」や「六本木ヒルズ」開発でも貫かれている。故郷の港区を復興させたいという思いから始めた再開発は、この手法とともに泰吉郎をタウンデベロッパーへと導いていったのだった。
土地柄に合った理想の街づくりへのこだわり
戦中戦後、地主たちが焼跡を次々に売却していた頃、教鞭をとる一方で家業を手伝っていた泰吉郎は、資金の許す限り土地を買っていた。震災前は150坪だった森家の所有地は、終戦時には2000坪に達していたという。震災で土地の重要性に気づいた泰吉郎は、「底地買い」を徹底して行い、土地を売却して手放してしまう分譲事業は行わなかった。この資本の活用により、戦後40年間で賃貸面積125万m2に達したのである。

泰吉郎は1955年(昭和30年)に本格的に家業を継承している。そのころ森家が所有する貸家の大半は当時のNHKの近くにあり、ビルを建てれば必ず良くなる場所だ、と泰吉郎は考えていたという。その読み通り、翌年建てた第一森ビルのテナントにはフランスの香水メーカーやインドの通信社など当時は珍しかった外資系企業や団体が入居したのだった。

港区開発にかけた泰吉郎は、着々と土地を買い続けた。土地柄にあった理想の街の開発のために、広さと土地にこだわった。そのため開発着工まで異常に時間がかかり、未稼働の土地は広大で、普通の私企業ではとても持ちこたえられないほどだったという。しかし、開発して建てたビルは常に投資以上の価値を生み、高額な賃料を払うテナントがいる。森ビルの場合、土地投資の利払いを稼働ビルの家賃でまかなう経営施策がとられていたという。その結果、「いざ開発」という時の土地投資負担額は限りなくゼロに近くて済んだのである。

その後、泰吉郎とともに最初のビル建設から携わった次男・稔に次いで、銀行出身の三男・章も経営に加わり、財務面も強化されていった。資金と所有する土地をもとに、森グループは次々に再開発を重ねていった。そして、泰吉郎が逝去した現在も、二人の息子が
それぞれの会社を率い、首都圏の再開発に意欲を燃やしている。
1978年にオープンしたラフォーレ原宿は、教会跡地をファッションビルに変貌させた開発だった
(文中敬称略)
略歴 PROFILE
森 泰吉郎  Mori Taikichiro
(1904−1993)
東京都港区出身。戦前は京都高等養蚕糸専門学校(現・京都工芸繊維大学)の教授、戦後は横浜市立大学商学部長で教鞭をとる一方、家業の不動産業も手伝う。父の死を契機に、55歳で不動産業へ転身し、森ビル株式会社を設立した。

 

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