| 土地柄に合った理想の街づくりへのこだわり |
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戦中戦後、地主たちが焼跡を次々に売却していた頃、教鞭をとる一方で家業を手伝っていた泰吉郎は、資金の許す限り土地を買っていた。震災前は150坪だった森家の所有地は、終戦時には2000坪に達していたという。震災で土地の重要性に気づいた泰吉郎は、「底地買い」を徹底して行い、土地を売却して手放してしまう分譲事業は行わなかった。この資本の活用により、戦後40年間で賃貸面積125万m2に達したのである。
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泰吉郎は1955年(昭和30年)に本格的に家業を継承している。そのころ森家が所有する貸家の大半は当時のNHKの近くにあり、ビルを建てれば必ず良くなる場所だ、と泰吉郎は考えていたという。その読み通り、翌年建てた第一森ビルのテナントにはフランスの香水メーカーやインドの通信社など当時は珍しかった外資系企業や団体が入居したのだった。
港区開発にかけた泰吉郎は、着々と土地を買い続けた。土地柄にあった理想の街の開発のために、広さと土地にこだわった。そのため開発着工まで異常に時間がかかり、未稼働の土地は広大で、普通の私企業ではとても持ちこたえられないほどだったという。しかし、開発して建てたビルは常に投資以上の価値を生み、高額な賃料を払うテナントがいる。森ビルの場合、土地投資の利払いを稼働ビルの家賃でまかなう経営施策がとられていたという。その結果、「いざ開発」という時の土地投資負担額は限りなくゼロに近くて済んだのである。
その後、泰吉郎とともに最初のビル建設から携わった次男・稔に次いで、銀行出身の三男・章も経営に加わり、財務面も強化されていった。資金と所有する土地をもとに、森グループは次々に再開発を重ねていった。そして、泰吉郎が逝去した現在も、二人の息子が
それぞれの会社を率い、首都圏の再開発に意欲を燃やしている。 |
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| (文中敬称略) |
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| 森 泰吉郎 Mori Taikichiro |
| (1904−1993) |
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| 東京都港区出身。戦前は京都高等養蚕糸専門学校(現・京都工芸繊維大学)の教授、戦後は横浜市立大学商学部長で教鞭をとる一方、家業の不動産業も手伝う。父の死を契機に、55歳で不動産業へ転身し、森ビル株式会社を設立した。
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