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| 貧村の少年は十代でシンガポールへ。金物屋からシンガポールNo.1企業へと上りつめたプロセスとは? |
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| 金物屋の見習いからスタートした華僑人生 |
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シンガポールの華僑財閥といえば、ホンリョン(豊隆)グループ(以下、ホンリョングループ)が真っ先に挙げられる。この財閥は、郭芳来(Kwek Hong Lye)、芳楓(Hong Png)、芳改(Hong Khai)、芳良(Hong Leong)の4兄弟によって築かれた一大コングロマリットである。
同国での華僑ビジネスは、香港の発展プロセスと似ている。国内マーケットは非常に狭く、不動産も限られている。そのため、成長を求めるならば積極的な海外投資を行うことが条件となる。また、大手企業は金融業、不動産業をメインビジネスに多角経営にのぞむコングロマリットが多いのも特徴である。
一方、マレーシアの場合は、砂糖やゴム生産など生産部門をベースに発展した多角経営の成功企業が多い。華僑が得意とする金融、不動産事業をベースの産業に加えることで発展したケースも多く見られる。
これら2国で発展をとげたホンリョングループの歴史は、中国福建省の貧しい農村に生まれた4兄弟によって、その礎が築かれた。
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| 小学校を中退して農作業に従事していた4人のうちの一人、郭芳楓は1929年、16歳で単身シンガポールへ渡り、金物屋の見習工として働きはじめる。10年後、ほかの3兄弟も次々にシンガポールへ。そして1942年、 4兄弟は共同で船舶用品や建材などの取り次ぎ販売を行う会社を設立した。これが「豊隆公司(Hong Leong Co., HL Co.)」だった。
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| 物資不足の時代をチャンスに変えた4兄弟
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シンガポールが日本占領下におかれた1942年〜46年は深刻な物資不足で物価が急上昇していたが、兄弟たちは豊隆公司でペンキやワイヤーロープなどを大量に仕入れて販売。さらに工場も建て、ペンキ加工事業まで手掛けた。第二次世界大戦後の復興時には、長男の芳来と次男の芳楓は戦時の余剰物資の仕入れに資金を注ぎ込み、転売で利ザヤを稼いでいった。
これにより豊隆公司は急速に発展することになる。
1946年になると、シンガポールとマレーシアで発展しそうな農園と土地を購入し、ぺナンに新会社「豊美五金」を設立。48年には「豊隆(HL Sdn. Bhd, HLSB)」を設立し、他の6会社を子会社として統合した。この豊隆は50年代からシンガポールとマレーシアで土地の購入や店舗建設、工場への積極投資を展開し、ビルのデベロッパーとしても急成長していく。同時に日本企業や外国企業との合弁事業も開始し、他企業の株式取得にも動き出す。そして62年には、シンガポールとマレーシアにそれぞれ金融会社や銀行も設立した。
更に、不動産事業にも進出。先行投資で土地を購入し、そこにビルや工場を建て、付加価値を付けた後に転売、もしくは合弁事業を起こして利益を上げるという方式をとり、急成長していった。
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| 2国に分かれた兄弟グループ
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1960〜70年代のホンリョングループは、銀行の買収により経営規模を拡大する。それに伴い、シンガポールでは「豊隆実業(HL Realty)」を設立し、購入済みの土地を利用して、オフィスビル、商業ビル、高級住宅、ホテル、ショッピングセンターを次々に建設した。71年には「城市発展(City Developments Ltd., CDL)」を買収。城市発展は、現在もグループの不動産事業を統括する中核企業である。さらにホテル業へも積極参入を開始、既存ホテルの買収や新規建設を行う。日本人にも知られるオーチャードホテル・シンガポール、JWマリオットホテル香港などは、グループ会社「城市酒店国際( CDL Hotels International )」の傘下である。
同時期にマレーシア連邦が成立し、芳来・芳楓は、マレーシアにも「マレーシア・豊隆(HL Malaysia)」を設立した。その後、67年にシンガポールがマレーシアから独立。70年にはマレーシア政府の新経済政策の実施により、一族は国籍を選ぶことを強制された。結果、芳来とその息子たちはマレーシア国籍、ほかの3兄弟と家族はシンガポール国籍を選択。それを機に、ホンリョングループは2国に分離してそれぞれ事業を展開することになったのだった。 |
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| 2つのホンリョンへ−発展へのプロセス
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マレーシア・ホンリョングループは郭芳来の長男、令燐(Quek Leng Chan)が経営陣に加わり、マレーシア政府の自国人優遇の規制にも負けず、国内投資と積極的な海外投資によってマレーシア第3位の企業グループとして成長していった。多岐に亘るビジネスを支えるのは金融業で、アジア危機のあとも堅実に業績を上げている。
一方、シンガポール・ホンリョングループは、金融・不動産・ホテルの3分野をメインに同国一の企業グループとして君臨する。これには、シンガポール政府の現地企業による海外投資や、外国人企業への優遇措置も大きな後押しをしている。独立後のシンガポールは、50年代から進めてきた工業化を一気に加速、経済発展法令(法人税免除)を公布し、資本集約形の大企業育成も行っている。また、金融自由化を推し進め、住宅開発計画や都市再建計画も進行させた。
シンガポール・ホンリョングループは、政府の政策にフレキシブルに対応し、50年代末にはセメント工場を建設、建設資材市場をほぼ独占した。60〜70年代には投資の重点を金融と不動産に移し、買収や合併、株式取得により金融・不動産の上場企業を傘下に収めて経営を拡大する。80年代には積極的な海外投資へとターゲットを移し、また90年代以降、ホテル事業に本格参入しているのも同グループの特徴だ。2004年には鹿島現地法人との共同でシンガポールの中心地区に高級ホテルとマンションの複合施設を開発中である。一建材販売会社から始まった2つの財閥グループは、経営陣が息子世代にバトンタッチされた後、財務面での強化に成功した。そして、現在もさらなる多角化と積極的な海外進出を続けている。 |
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参考文献/
朱炎著『徹底検証 アジア人華人企業グループの実力』(ダイヤモンド社、2000年)
朱炎著『アジアの新龍 華人ネットワークの秘密』(東洋経済新法社、1995年)
『華人経済圏研究会 報告書』(野村総合研究所、2001年) |
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ホンリョン(豊隆)グループ 郭4兄弟
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ホンリョン・グループの創始者兄弟。郭芳来(Kwek Hong Lye、引退)、芳楓(Hong Png、1994年死去)、芳改(Hong Khai)、芳良(Hong Leong)の4人。中国福建省の農村出身。
4人とも小学校を中退後、農業に従事していたが、チャンスを求めてシンガポールへ渡り、成功を収める。 |
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