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不動産王列伝

【Vol.10】 マンハッタンの不動産王 ジョン・ジェイコブ・アスターとアスター家

いまだアメリカ史上最大の富豪の一人とされる、ジョン・ジェイコブ・アスター。毛皮商から身を興してアメリカン・ドリームをつかんだ先人であり、その子孫はホテル王としてアメリカに新たなホテルのあり方を提示した。この一族の財はどのようにして作られたのだろうか?
新大陸の可能性を引き出した初代アスター
米国誌『フォーブス』が毎年発表している世界の長者番付に並ぶ実業家の名前は、ビル・ゲイツ氏をはじめ、現在経済界で活躍する人々であり、我々にもなじみ深い。しかし、アメリカにはこのリストに並ぶ人々以外に「大富豪」と呼ばれる財閥ファミリーが複数存在する。ロスチャイルド家やヴァンダービルド家などがその例だ。

だが、彼らが個人の事業家として経済界の第一線で活動しているのは稀で、 『フォーブス』のリストには登場しない。とはいえ、いまだにウォール街の株価をはじめ、アメリカの動向を握るのはこういった財閥ファミリーであるというから、その影響力の大きさは驚きである。一世紀以上前に財を貯えた財閥ファミリーが、今もなおアメリカ大企業群の大株主として、アメリカを動かしているともいわれているのだ。

アスター家はそんな財閥の中でも古くから財を成した一族である。その名はニューヨークの「アスター広場(グリニッジビレッジの東)」といった地名にも残る。初代のジョン・ジェイコブ・アスターは、 1763年にドイツのウォルドルフという町で生まれた。実家は肉屋を営み、15歳でロンドンに出て楽器商人として修行する。20歳でアメリカのバルティモアへ渡り、その後ニューヨークに出て、イギリス植民地であったカナダから毛皮の輸入業を始めた。また並行して、ロンドンからも楽器の輸入を行い、ニューヨークに楽器店を開く。着々と毛皮商人としての頭角を現すと、1808年に「アメリカン毛皮会社」を設立。中国貿易も始め、1834年にはアメリカ最大の企業と呼ばれるまで成長させた。そのマーケットは大西洋から太平洋に拡大し、ハワイや日本、中国でも彼の扱う毛皮が流通していたのである。

当時、東インド会社の支配下にあった全ての港での独占販売権を得ていたともいわれている。この事業の成功から、彼はアメリカの「船舶輸送業界のパイオニア」と呼ばれたほどだ。
定期借地権を運用した不動産ビジネス
アスターは地価が暴落したマンハッタンの土地を先見の明で積極的に買い進めた (リバティ島よりマンハッタン島を望む) 初代アスターは、毛皮輸入販売で得た利益を、経済の中心地となり始めていたニューヨークの不動産へ投資していった。さらに投資先は、マンハッタン全域へと及んでいく。特に、現在のミッドタウン(ウォール街のあるビジネス中心地)や5番街周辺、アップタウンといった今のニューヨークでも経済商業の中心を占める地で、高級住宅街として栄えている所ばかり。アスター夫人の邸宅が現在の5番街65丁目やエンパイア・ステートビルがそびえる33丁目から34丁目にあったのがそれを象徴しているだろう。

また、1810年にはウォール街にある土地を8,000ドルで売り、その金でウォール街北の未開発地キャナル・ストリートを買おうとしたという逸話がある。これは、アスターの土地の買い手は8,000ドルの投資が数年で1万2,000ドルまで高騰すると見込んだ買い物だったが、一方、アスターは未開発地なら10倍の8万ドルまで値上がりするだろう、と予測してのことだったという。さらに、1837年の経済危機の際には、地価が暴落したマンハッタンの地を積極的に買い進めるという先見の明をも持っていたのだ。

だが、彼が富豪になれたのは、ただ土地を買いまくったからではない。その運用方法にポイントがあったのだ。彼の不動産投資のやり方はいわゆる不動産売買ではない。投資した土地の開発は一切行わずに「定期借地」として貸し出し、投資回収を行ったのである。定期借地は、契約期限が切れるとアスターの手に戻ってくる。当時、都市整備が進行中だったニューヨークのミッドタウンやアップタウンの地価は高騰の一方で、土地が戻ってくる時には、常に地価は一段と上昇していた。

結果、アスターは40代の若さで、ニューヨークで唯一の百万長者となり、世界最大の金利生活者と呼ばれるほどの財を成したのである。

※現在の約8000万ドルに相当。1ドル=120円換算で96億円
遺産相続人たちはホテル王へ
アスター家の所有地の跡に建つ、ニューヨークの象徴 エンパイアステートビル ウォール街にアール・デコの象徴と呼ばれる「ウォルドルフ・アストリア・ホテル」がある。このホテルは、アスター家の子孫が建てたものであり、もともと現在のエンパイアステートビルが建つ場所にあった。前述したように初代アスターは、マンハッタンの不動産投資に注力した人物であったが、ホテル王ではなかった。2代目アスターは初代にも勝るとも劣らない商売人であり、父親が築いた財をさらに拡大している。そして、その子孫が自分達の屋敷跡に2つのホテルを建てたことが、アスター家をホテル王といわしめた由縁である。

このホテルは初代アスターのひ孫、ジョン・ジェイコブ・アスター4世(タイタニック号で没)とその従兄弟のウィリアム・ウォルドルフ・アスターが、それぞれの邸宅があった隣接地に「アストリア・ホテル」と「ウォルドルフ・ホテル」を建てたのが始まりだ。

当時、高級住宅街だった地に突然ホテルが完成したのは、周辺の住民(富豪たち)にとってショックなニュースであったという。1893年にこの2つのホテルを廊下でつなぎ、共同経営し始めたのが「ウォルドルフ・アストリア・ホテル」である。

このホテルは当時「社交界の女王」と呼ばれたアスター夫人(3代目アスターの妻)の協力も得て、富豪たちが舞踏会を開く社交場となり、世界の名士たちが訪れる場所となった。

富豪がニューヨークに広大な邸宅を持っていた時代には、ホテルで舞踏会を開くことはなかった。しかし、このホテルが初めて社交場としてのホテルのあり方をハイソサエティの人々に示したのである。さらに、ウォール街にホテルが移転すると、要人たちの定宿、つまり人が住むスタイルへと変化した。こういった変遷が、1980年代にヒルトン傘下に入った今もなお、由緒正しきホテルとして世界のVIPたちに愛されている理由なのだろう。

毛皮商から身を興し、アメリカン・ドリームをつかんだ初代が築いたアスター家は、ニューヨーク市立図書館の核となったアスター・ライブラリー、メトロポリタン美術館をはじめ、さまざまな文化施設に多大な寄付や寄進(有名なのはウォール街のトリニティ・チャーチ)をした篤志家財閥として、今もなお高名を残している。
参考文献/
広瀬 隆『アメリカの経済支配者たち』(集英社新書、1999年)
マール社編集部『100年前のニューヨーク』(マール社、1996年)
猿谷 要『ニューヨーク』(文春文庫、1999年)
マーヴィン・トケイヤー『ユダヤの商法』(日本経営合理化協会出版局、2000年)
海野 弘『ニューヨーク黄金時代〜ベルエポックのハイソサエティ』(平凡社、2001年)
略歴 PROFILE
アスター家
ジョン・ジェイコブ・アスター
(1763−1848)
John Jacob Astor
初代は、ドイツ出身のジョン・ジェイコブ・アスター。20歳で兄とともに渡米。毛皮の輸入業から身を興し、またたく間にアメリカの海運王の異名をとる。毛皮貿易の傍ら、ニューヨーク・マンハッタンエリアの不動産投資を始め、30代で不動産投資に専念、ニューヨークの百万長者となる。二男が跡を継ぎ、さらに事業を拡大。「ホテル王」として有名な財閥一族。
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