| 太田道灌の時代〜江戸湊(東京湾)を中心に栄えた地方都市「江戸」 |
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鎌倉時代、平家の有力武士、江戸重永の領地であった江戸の地。今から約500年前の1456年、太田道灌がその子孫を駆逐して江戸城を築き、その財力と、軍事力で江戸を全国的に知らしめた。
江戸は、江戸湊(東京湾)を中心に、湊の城下町として栄えた。当時平川河口近辺にあった江戸湊は、多くの商船や漁船で賑わい、「房州の米、常陸のお茶、信州の銅、泉州の塩魚・薬餌」など、多種多彩な物資が集まっていた。水陸の交通の便の良い江戸はこの頃から、発展の兆しを感じさせる街だった。
戦国時代になると、江戸を含む南関東一帯は北条氏に支配され、 1524年には江戸城も、北条氏によって占拠された。その後、北条氏を討伐し、天下統一を果たした豊臣秀吉が当時、ナンバー2の勢力を誇る徳川家康をこの地方都市「江戸」へ移封(領地替え)する。
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| これには思惑があった。秀吉は、家康の本拠地を東海から見知らぬ地方都市「江戸」に国替えをさせて、家康の力を削いでおきたかったのだ。港町として栄えたのはもう100年も前の道灌の時代。今の江戸はその整備だけでも大変な労力になるだろう。まして江戸を含む関東地方には、まだまだ北条氏の残党がいて治安も悪い。そこで秀吉は百万石の加増というプレミアをつけて家康に江戸入りを薦めたのだ。この時、家康は拠点を小田原にすることも考えていたという。もしも家康が江戸入りを断っていたら、今の東京、いや日本はなかったかもしれない。 |